この撮影日誌について
本日、3年越しで格闘していた特許出願が、とうとう特許審決となりました。 装飾体の特許ですが、屈折反射光学系の特許でもあります。 同種の出願は、審査請求(特許庁に審査してくださいとお願いすること。これを行わない特許出願は、特許にならずに取下げと…
誰もが「写真とは」と語る。それは、写真の「本質」を語っているかに装いながら、その実みずからの好みや信条を「写真とは何か」にかこつけて表明し、同時に、気にくわない相手をおとしめているにすぎない。各人各様に「写真とは何か」の答えがありうるのだ…
熱血のひとはいつの世にもいる。曰く、技術じゃなく内容、感じるままに撮りまくれ、考える前に押せ。それはたいへん結構なのだが、そうした猪突猛進なかたがたが写真をかたちにできるのも、技術の下支えがあってこそなのは見過ごされがちである。 合理主義は…
私とは何者か。この写真が私である。しかしそこに私の似姿などありはしない。それは私の身代わり、代行なのではない。そんな使いっ走りどころか、むしろそれによって私が可能となり、それを通じてみずからをかくあらしめ、それを介しておのれを生きのびさせ…
かつての勤め先に入社した初日の歓迎会のあいさつで、モットーは手段のためには目的を選ばず、と発言したところその説明を求められ、満足に答えられず吊し上げられた。しかし、今なら答えられる。写真器写真機などと呼べるほど立派なものではないという写真…
このブログのハイテンションもそう長くは続かないだろう。 写真についてのネタはいずれ切れる。そのつど新しく考えついているネタだけではこんなに毎日埋められるわけもなく、10何年か考えてきたストックから小出しにしているわけだが、そんなものはいずれ使…
世の常というのか、多くの人が辿るお決まりのなりゆきには相応の理由があってそうなっているものだ。子供の頃ああいう大人にだけはなりたくないと思っていたのが、ひとたび大人になってみるや自分も例外ではなかった、というような。「いつかこうなる」とい…
以前の日誌をカテゴライズしているのだが、以前は記述が簡素だったのに気づく。そりゃメモなんだからだらだら書くようなものでもない。このごろの長さは弛緩のあらわれか。それにカテゴリーをちまちま切りすぎだろうか。
これまでここは「撮影日誌」として、撮影を行った日かプリントを行った日にのみ書くことにしていた。そもそもこれをつける目的は、写真撮影時のデータと経緯の覚書であった。ただのメモだったのだ。写真の実践が最優先なのであって、現場に出ることよりも機…