雑記

中野フジヤジャンク館で、Toyoの中古4x5カットフィルムホルダが735円になっていた。Fidelityとかはあいかわらず315円。Toyoも3、4年前まではそうだった。ここでほめたのが、まちがいなく遠因。47mmくらいのよっぽどの広角レンズでもない限りほとんど影響ない…

運送業者に積み込みを拒否された廃液などをピストン輸送で運搬。4、5回往復したろうか。そして明け渡し。今回は感傷はない。やっと抜け出せるという心境。 処理薬品用の茶ボトルなどずいぶん捨てた。汚れてもいるし運んでもしょうがない。でもまだ残っている…

この3年くらいのこの日誌はほとんどpomeraで打っていた。だが3カ月ほどはpomeraを使っていなかった。ミスタイプが多くなり不思議に思っていたら、次第にOのキーが反応しなくなってきたのだ。起動直後はまったく反応せず、何度も押していると打てるようになる…

ある応答

ある人物の展示を見たところ感想を求められ、説明がないと意図通りに見えないかもしれず、文字情報という文脈をはぎとったら成立しないのではないか、と伝えたところ、ならば文脈に依存しない美術品は何か、どんな美術品や美術家が好きなのか、と問われた。 …

写真はわからない

20年以上にわたり鑑賞対象としての写真を見てきてわかったのは、自分には「写真がわからない」ということだ。 展示される写真を評価する尺度として、その筋では共有されているらしい価値判断の基準を、まったく理解できない。絵画や彫刻のひとびとがしばしば…

昔のネガ・ポジ・プリントを整理。 古巣でのインタヴュー時のネガとか依頼仕事関係はざくざく廃棄。会社がらみのネガもやや迷ってゴミ袋へ。撮影したまま退職などで渡しそびれていた結婚パーティのネガや、プリントを贈った残りのネガは当人に送る。 誰に頼…

年の瀬に2011-09-24撮影の4x5カラーネガ23枚を処分。最後に写真器で撮影したネガ。正常に処理され像が出ているネガを捨てるのは記憶する限りはじめて。明らかな失敗で、かつ終わっているので、これなら未練なくおさらばできる、はずなのだが、機材は売れば新…

評価と売買

格付会社はこの数年で、機関そのものの社会的信用を地に落とした。彼らの発表する格付けのいい加減さが知れわたってしまったのだ。今なお自国政府発行の債権に有利な格付けをあからさまに行ったり、みずからの利益を誘導するような振舞を平然とやってのけて…

版画の新たな鉱脈

多くの版画家による新作をまとめて、かつ何度も仔細に見られる機会が毎年あり、若手版画家の動きを、部分的にではあれ概観させていただいている。ここ2、3年で目立ってきた傾向として、スクリーンプリント等で厚盛りする版画家が増えてきたように思える。不…

夕刻、東洋初の地下鉄が下を走る通りで誰かとすれちがった。「ぜっったいに、必要ない」との若い女性の声だけが虚空に残った。こちらへ発せられたのではないのだが、なぜか刺さる。

裸の王様は誰か

誰がどう見ても価値がないのに、みながこぞって賞賛している代物やそれが帰属する人物をさして、あれは裸の王様だという。そうではない。誰それが裸の王様だとか、ひょっとして自分が裸の王様かも、などという主張は的外れというほかない。 個別の誰かが裸な…

特快晴。書類を特許庁へ郵送しようと思ったが、近隣の郵便局では特許印紙を扱ってない。かなり大きい郵便局じゃないとおいてないらしい。新橋なら小さい郵便局でも売ってるが、それなら直接特許庁へ持参したほうがいい。 新橋から霞ヶ関へ。窓口は閑散。弁理…

プーリーについて質問して発注。考えていたより安かった。はじめからちゃんとしたメーカーに注文しときゃよかった。 モートルメーカーと機材商にも問い合わせ。産業機械はおもしろいわ。消費者用製品とはまったく別のルールと用語と思考法に貫かれている。そ…

「芸術家」の終わり(「芸術」の終わり、ではなく)

近代的芸術家は近代で終わった。そのはずなのだが、いまだにそれは根強く残っている。 近代的芸術家とは何か。俗世間の無理解およびそれに起因する貧困と孤独に戦い、死後に発掘される、というロマンティックな芸術家像が世間的了解だが、それは問題の一面に…

眼鏡をようやく新調。20%オフで4,094円。また安物を買ってしまった。度数は壊した古いのと同じ。視野は狭い。今までは天地に狭く細長い型だったが、今度のは左右も狭い。目の開口部ぎりぎりのサイズ。たぶん女性用。でも単レンズの周辺部は諸収差が顕著なの…

著作権的/特許的

商標についてはいろいろ調べたが、日本では写真がらみの商標があまり登録されていない。 写真がらみの登録では、感材メーカーやカメラメーカーがほとんど。大手プロラボはさすがに登録しているが、創立後ずいぶんたってから。それも社名や流通上のありふれた…

ラジオから。 メロディラインが3小節以上同じだとパクリが成立するとかいうのは都市伝説、実際の訴訟になるとそんな単純な話じゃない、巧妙なやつは何百曲もの中から少しずつかすめてくる、と菊地成孔。 応えて近田春夫、そんなのは合理的じゃない。もっと効…

以前予想したとおり、大厄災に便乗したアート系商売が乗り遅れるなとばかりに出回っている。むろん全部を見たわけではないけれど、大出版社から出た有名カメラマンの写真集を、時間が余ったので試しにぱらぱらめくってみたら、完璧に予想通りの内容。さすが…

古いものには価値があるのか

なぜ老人が敬意をもって遇されなくなったのか。儒教思想の退潮とかいろんな説明は可能だろうが、合理主義者の回答はこうだ。老人が増えたから。 かつて短命で死ぬ人間が多かった時代には、高齢まで生きのびている人間の価値が高かった。頑健さや運などさまざ…

オリンパス製品は、最初に所有したカメラであるOM1も135mmも売ってしまって、50mmf1.4をルーペ用に残してある程度。新宿にあった頃のオリンパスプラザは意欲的なプログラムを組んでいてよかったが、今は行くだけ時間の無駄。大手カメラメーカーなんてどこも…

情緒的・物語的傾向が強まったのはなぜか

もうひと月前になるが、2011-09-18のコメント欄で、nanjotoshiyukiさんと次のようなやりとりをした。 日本の写真展では「コンセプト」が個人的な来歴や経験談や所感という「物語」にすりかえられてしまっていることが多いと思います。本来はわかりやすく説明…

facebookへの投稿より 絵画というジャンルとのいろんな差異を実感させられる毎日だが、写真にだって違和感ありまくりだったのだから、「絵画」と「写真」という二極を設定して、「写真」ではこうこうで「絵画」とは違う、といういいまわしは避けないと。「写…

「誰にでも」と「わかるやつにだけ」

初個展から見ていただいている、制作と評論の両方をなさっているかたから、君のは昔からやりすぎる、わかりやすくしすぎなんだ、と言われる。むろん否定的な意味で。 そういうことか。他からも、もっと難解でいいんじゃないか、などと言われていて、はあ? …

写真と物語

10年ほど前にはやったMoMA教育部門出身のアメリア・アレナスの対話型美術鑑賞法には、明らかに向く対象とそうでないものがある。彼女は関心のない美術品に対しては素通りだったらしい。言語化されにくい美術品は間違いなくあるわけで、そういったものを排除…

どこもかしこも「物語」

ひさびさに銀座の画廊をまわる。だいぶたたんでいて、新しいところもできてるらしいが場所がわからない。 貧困にあえいだとか夭逝したとかいった制作者の物語の消費が主で、肝心の制作物は物語の口実程度というのが、この国で美術が受容されるさいのもっぱら…

やけどから1年経過した。 ライトスタンドとライトホルダー等を預け先から回収。道具というのはみだりに処分するものではない。長いこと使わなくても、寝かしていればいつか使うこともある。ただ売り時というものもあるので、確実に不要と思えてしかも値が張…