引き続き引き伸ばし機改造。右側も削ってヤスリがけ。開口部を130mmから136mm程度に拡げた勘定。左が約4mm、右が約2mm。

切り口がいびつだが、充分に余裕があれば印画面には出ないので支障なし。掃除機で削りくずを吸うがとりきれないので拭きとる。
ネガキャリアに未露光未現像フィルムを装填して実際にイーゼル上に投影してみる。

150mmでf11。フィルムのノッチが逆だがご愛嬌。削ったままなので両脇の金属の地肌がそのまま映し出されている。
下に出ているのはネガキャリアのガラスのエッジ。
これだけ左右に余白があれば足りるだろう。左右の光量が落ちているのは散光ボックスの限界。つまり散光ボックスがこのままならこれ以上ネガキャリア押さえを削っても光量がフェードアウトしていくだけで無意味。ただ、散光板にはもう少し余裕があり、散光ボックスの内部は発泡スチロールのようなものがつめられていて、これを削れば光源面積を拡げられるが、それは中央部で光量ムラが出かねないのでやりたくない。画面最周辺部は黒フチのみとして絵柄がかからないようにすれば現状でもさしつかえないのではないか。
実際の部品は左側をより広く削ってあるわけだが、投影された像は天地左右が逆になっているので、右側がより空いており、その分光量低下が顕著。
そういえばフラッシュメーターの乳白半球と交換すれば引き伸ばしのスポットメーターにできるマスクがあった。
これで周辺部の光量低下を計ってみる。こんなどうでもいいようなものもとっておくといつか役に立つ。

ところが計測してみると、画面中心部ならともかく周辺では光線の入射方向が斜めになりマスクからセンサーに光が当たらなくなって異様に暗く計測される。
なので露出計を傾けて正面から入射させなければならないがまったくあてにならない。こんなもの使い物にならない、と放置していたのを思い出した。
やっぱり引き伸し機用のセンサーじゃないと無理。VR70のセンサーで計るという手はなくはないけど実際に焼いてみたほうが確実。
参考値としては光量低下が目視で確認できる直前で0.1段か0.2段程度の光量低下。何とかなりそうだがプリントしてみないことにはわからない。

ネガを縦位置にしたところ。本来はフィルムまわりの余裕が長辺方向はこれしかなかった。比較するとずいぶん広がっている。
あとは削った部分をつや消し黒の塗料で塗ってネガキャリア受け下の開口部にパーマセルで反射対策をすれば本体側の工事は完了。
ネガキャリア受けの作り直しはテスト後に。
作業中、開頭したままでランプを点灯させたらたちまち煙が出た。
何事かと思ったら、削るときに内壁を傷めないよう遮光ビニールを貼ってあり、ランプ正面の光が通る穴を塞いであったのだった。
ビニールの穴の前の部分が丸く溶けていた。点灯はほんの1、2秒。しかもランプから5cmくらいは離れている。すさまじい出力。

もはやデジタルカメラは終わりである

ピストン西沢語るところのデジタルだ「アナグロ」だの話はつまらないのでしないつもりだったが、フィルムカメラ統計公表とりやめというのでひとくさり。
もはやデジタルカメラは終わりである。どういうことか。ここ数日来述べているようにここここここ、カメラとか車とかパソコンといったハードウェアを追いかけるのは今や違うということだ。
デジタルカメラは出だしの時点ですでにおもしろくなかった。
カメラの歴史というのは長いこと小型カメラ中心で語られており、それは必然的に自動化・効率化・簡略化の目的論的発達史観となる。それもずいぶん安易だが、小型化・軽量化がカメラの進化であるという説明よりはよっぽどましである。「35mmフィルムを使うLeicaの登場で報道写真が改革された」とかいう、何の疑問も吟味もなく無反省に繰り返され続ける定型句がそれだ。Leica以前からブローニーを使う手持ち用の小型カメラはいくらでもあったし、1925年のLeicaI型発売後数十年を経ても依然としてスピードグラフィックなどの蛇腹式大判カメラが報道の現場でプレスカメラの主流として使われていたことは映画『ローマの休日』あたりで世界中の常識である。Leicaなんてそんなたいしたカメラじゃない。単にフィルムフォーマットをひとつ作っただけ。報道写真の全盛期がLeicaNikonでばかり語られるのは、それらのカメラが敗戦後ドイツと日本の主要な輸出品となってアメリカを中心に大量に売られていたという事情もあるが、LeicaNikonとその取り巻きが都合のいい話を流布させてきたという面もあるのではないか。Leicaが写真を変えたなどと臆面もなく語る先生方は、一体いつまでLeicaやマグナムの宣伝の片棒を担ぐ気だろうか。それから、話はどんどんずれるが、小型化がカメラの進化の目標であるならば、NikonなりCanonの最上位機種がいまだにあんなでかくて重い理由を説明できない。もうひとつ、小型カメラ中心のカメラの歴史が語られてゆくとすれば、たとえばほんの数年前まではスタジオなどでのプロフェッショナルな写真の大半がMamiyaRZに代表される中判カメラで生産されていたという事実が忘れ去られるという、上記報道写真をめぐる歴史の改変と同様の過誤が繰り返されるであろう。
話を戻す。小型カメラの自動化・効率化・簡略化という点でカメラの変遷をとらえるならば、80年代末のNikonF4やCanonEOS-1でフィルムカメラの進化は実質的に終わっていた。それ以降画期的な技術革新は出ていない。せいぜい手ぶれ補正。それも10数年前からある。フィルムカメラが製品としても市場としても成熟しきってもう大規模な買い替え需要は見込めないという頃合でデジタルカメラが擡頭してきたわけだが、AdobePhotoshopが基本的に銀塩写真技術のトレースとしてなりたっているように、デジタルカメラも当時のフィルムカメラのフィルム部以降をすげかえただけだった。ビューカメラや中判一眼レフカメラに装着するデジタルカメラバックがそうだ。90年代にKodakがあまた発売した、Nikonのカメラボディをベースにしたデジタルカメラなども、フィルムカメラの亜流にしか見えなかったし、実際そうだった。フィルムカメラの開発でつちかわれてきた光学技術や測光・測距系の機構をそのまま流用して、完成されきったフィルムカメラの受光部分だけを交換した製品にすぎなかったのだ。今でもデジタル一眼レフカメラはみなそうだと思っている。だから、デジタルカメラは出はじめの頃から興味を引かれなかった。15年ほど先行していたオーディオでのアナログからデジタルへの移行のカーボンコピーだろうと予想がついたからだ。パソコンやネットなどのデジタル環境の有無が違うだけ。
そのデジタルカメラもいよいよ飽和の域に入った。品質の飽和ということだが、それは売れ行きの飽和をも意味する。コンパクトデジタルカメラは数年前に性能が頭打ち。車と一緒。デジタル一眼レフは、細かい改良を小出しにはしているけれど、大筋ではパソコンと同じスペック対価格比の更新競争になってしまった。もう先が見えている。終わりなのだ。35mm判フィルムカメラは70年かけて進化をなしとげてきたが、デジタルカメラは20年余でやりつくした。進歩をエサに買い換えさせる商売は早晩通用しなくなる。
先日来述べているが、もはやハードウェアやメカをおもしろがれはしないのである。コンピュータのハードや基幹技術なんてまったくどうでもいい。おもしろいのはそれらをどう使うかのほう。カメラ業界も、カメラ雑誌的なメカへの興味では頭打ちだととうの昔に気づいているはずである。それはデジタルカメラだけでなく、10数年前に流行してすでに下火のアンティークカメラにしても同じこと。
だから、デジタルカメラ全盛のこの狂乱は遠からずしぼむ。少なくともこれまでのような市場拡大はありえない。いずれ、固定電話機や冷蔵庫のような、十年一日のごとく生産され続ける、ごく当たり前の陳腐な製品となるだろう。そうなれば、フィルムカメラと条件は一緒なのだ。デジタルカメラのほうが利便性は高いが、利便性を求める大部分の用途はカメラつき携帯に吸収され、一部の人間のみが使う特殊な機械になりはてるかもしれない。フィルムカメラと何ら変わるところはない。そうなれば、オートマ車に飽き足らない車好きがマニュアル車を好むのと同様に楽しめるフィルムカメラのほうが有利とさえいえる。富士フイルムのこのごろの宣伝は悪あがきなのかと思っていたが、そのへんを見越しているのかもしれず、だとすればたいしたものである。
デジタルカメラの売れ行きがフィルムカメラを圧倒しているのは、社会のインフラがデジタルカメラ向きになったということもあるけれど、最大の原因はデジタルカメラをここぞと売りたい思惑がメーカーにあるからである。みんな踊らされてるだけだって。いずれこの傾向がどんづまりになって、今のままでは商売にならなくなってくれば、ほかに活路を見出そうとするから、かならずフィルムへの揺り戻しがくる。かつて70年代にRCペーパーが出てカラー写真が普及しだした頃、モノクロ写真はもうおしまいだという悲観的風潮があったという。ところがどっこい30年たっても生きている。フィルムカメラ銀塩写真も、あと数年を乗り切ればきっと盛り返すはずだ。