無駄ではなかった

本日、3年越しで格闘していた特許出願が、とうとう特許審決となりました。

装飾体の特許ですが、屈折反射光学系の特許でもあります。

同種の出願は、審査請求(特許庁に審査してくださいとお願いすること。これを行わない特許出願は、特許にならずに取下げとなります)したものだけで、これの前に6ないし7件。8件目でようやく特許になったのです。審査請求しなかった出願は無数にあります。

これらの手続を、全部自分で行いました。それ以前には弁理士に出願を依頼して4件が特許登録されました。その過程で明細書の書き方を学習し、これなら自分でできるし、その方が手っ取り早いし、経費もかからない、ということで代理人を通さず自分で出願するようになったのですが、これがいばらの道でした。

何しろ経験がないので、人に聞くしかない。聞きまくり、調べまくり、たいへんな時間を使いました。本業にもさしつかえ、事業化も遅れました。おとなしく弁理士に依頼したほうがよかったかも、と思わなくもありません。

しかし、とにかく、特許までこぎつけました。当初思い描いていたよりも権利範囲は狭くなりましたが、先行技術を見れば、妥当な落としどころだと思います。といっても、特許制度の審査基準では類似と判断される技術が先にあったというだけで、この発明の独自性が揺らぐわけではありません。

この特許と、この技術は、この撮影日誌をやってきたからこそ、実現できたのです。

今やっているのは、かつてここでやっていたことと、何も変わりません。

新しいアイディアを着想し、展開し、手を動かして実作する、結果を見て試行錯誤する、そして、たえずオリジナリティと視覚的な新しさを追求する、という技術へのとりくみは、かつてやってきたこととまったく同じです。

この特許の技術が、一種のレンズのようなもので、これまで幾何光学や光学関連分野になじんできたことも大いに役立っています。

特許請求の範囲や明細書の作成も、ここで写真技術を考えてきたことの延長です。そう、ここで15年にわたり、技術を明確かつ論理的に記述するという訓練を地道に重ねてきたことで、少なくとも特許になる水準の特許出願書類を書けるようになったのです。一人前に特許明細書を書けるようになるまで10年はかかると言われているようです。一人前かどうかわかりませんが、とにかく特許の審査(と審理)には耐えうる明細書、そして審査官や審判官への反論や弁明である審判請求書や意見書等を書けるようになりました。

今回、特許審決なのです。これは、一度特許審査官に拒絶査定され、特許にはならないという扱いになった特許出願を、それはおかしいと不服審判請求し、つまり上級審に訴え、逆転して特許になったというものです。弁理士を通さずにやる人はあまりいないと思いますが、これをほぼ自力で勝ち取りました(弁理士の助言は受けましたが、書類作成と手続は自前です)。専門家だからといって弁理士に依頼していたら、ここにこぎつけられなかったのではないか、と思っています。この技術をどこの誰よりも知り抜いている私が、とことんまで考え抜いたからこそ、特許審決が勝ち取れた、と思っています。

この撮影日誌を書いていたあの日々があったからこそです。

ここでいろいろと書き散らしたことで、写真関係者に敵ばかり作り、味方はいなくなりました。それでよかったのです。ここでも何度も書いているように、もともと、写真のジャンルは嫌いでした。でも中途半端に足を突っ込んでいましたが、すっぱり縁を切りました。でも、写真のメディウムは今でも好きです。昔から一貫しています。

多大な時間を投入してこの撮影日誌を書き、そのわりにはほとんど読んでもらえず、たまにコメントがついても無理解の嵐、そうまでしてやって敵を増やすばかり。普通に考えればやらないほうがいいようなものでしたが、この特許審決で報われました。

この撮影日誌は、この日々は無駄ではなかった。こんなかたちでではあれ結実したのです。

この特許はとっかかりです。関連する別の特許がすでに数件出願済で、これから審査請求していきます。さらに進んだ別技術についても出願準備中ですし、まったく関係ない分野の思いつきについても出願し、すでに特許査定されています。一つの分野で権利化までの方法を習得すれば、あとは応用です。

肝心の技術のほうも、ここでの日々で鍛えたしぶとさで、失敗にめげずに、少しずつではあれ進めています。きっと、いつか大輪の花を咲かせます。

 

はてなダイアリーも終わってしまいましたが、ここでの日々の成果と、今後の希望を記して、この撮影日誌の最後のエントリとします。