前日EOS-1nを持ち修理の終わった12-24mmを拾って福島へ。EOSの電池を交換したのに反応しない。バッテリーチェックもきかない。海沿いで使ったせいでとうとう御陀仏か。なんのことはないメインスイッチを入れているつもりでAEロックスイッチをぱちぱちやっていただけだった。やれやれ。雲多いがときどき晴れ間。水郡線CCGAに寄ってから郡山に引き返す。郡山駅前のビッグアイとかいう目ン玉入りのビルは目を引くのだが、適当な場所がない。磐越東線。はじめて乗るような気がしていたが、だいぶ前に乗ったことがあった。周遊券があった頃。冬場カメラを持ってあぶくま鍾乳洞に入ろうとしたら閉まっていたのだった。つまり石灰岩層。まわりの山は切り崩され白い穴ぼこをさらしている。初期の畠山直哉の世界。製粉工場があちこちにある。むろん小麦粉を出荷しているのではない。
いわきへの直通がしばらくなく小野新町どまりなので途中神俣駅で下車し工場を物色。減価償却どころか耐用年数もとうに過ぎた設備がへたりきったらそのまま廃業といった風情。地元の町おこしセンターふうの場所でできたばかりのメニューだという石焼きビビンパを頼んだらシイタケとか紅しょうがが載っている。以前来たのはこのひと駅前の菅谷と大越だろう。
磐越東線もそうだが水郡線もかつてはもっと本数があったはず。待っても一時間ほどだった。少なくとも、水戸までの直通便が一日2本しかないなどということはなかった。完全なローカル線切り捨て。民営化前夜にはこういった事態を危惧する論調もあったが、その通りの帰結となったわけだ。利潤を追求する民間企業なら当然のこと。この10数年での自家用車の普及の影響もあろうが、公共交通が縮小されることで自家用車に頼らざるをえないということもある。鶏か卵かではあるが、ともかく地方鉄道の縮減によって、結果としてJR各社もその株主も自動車メーカーも石油業界も、大資本はみな利益を得ているのは確実。
いわきで常磐線。CCGAを出たのは10:30だったのに、すでに14:40。日立あたりがよさそうなのだが時間がない。と思っていたら海沿いで煙突が林立してもくもく煙を上げている。これはいかずばなるまいと泉で下車。時間の節約のため特別にバスに乗り小名浜港へ。途中も工場がちらほら。辰巳町近辺の倉庫には6x12好適物件。海水らしいが珍しいのではないか。要再訪。その先のふくしま海洋科学館のガラス張りの展望塔らしきものもおもしろい。さらに西へ。海岸にYの6x12航路塔だったか。悪くない。しかしもう間に合わない。秩父セメントや精錬所など重厚長大工場が続き惹かれるがここ福島でもやはり守衛が通せんぼしている。藤原川対岸の堺化学工場?はなかなか見どころのあるツラがまえ。パイプラインの橋から何とかならんかとも思うが三脚は立てられそうもない。下見ということであいかわらず露光せず。日も沈んだので帰投しようと泉の先の植田駅をめざすが、地図もないのに妙な冒険心を起こしたのは無謀だった。行けども行けども駅のかけらも線路さえも見えないのに不安になり住民に尋ねてようやく断念。結局泉駅へ。都内の駅間距離の感覚はまったく通用しない。常磐線上野行きに乗ったのは20時前だったか。それでも福島県から充分帰りつけるのだから、鈍行とはいえ早くなったのだろうか。