曇。青春18の5回目が今日までなので成田へ。世に聞こえた成田山新勝寺。もう詳細は思い出せないが、1985年、成田駅発のバスに乗って成田現地闘争へ行っているはずだ。催涙ガスも喰らった。その後、就職活動時の試験問題集で、一般常識の項目に「宗教都市」の例として成田があげられていて、これを文字通りにとるべきなのか、三里塚界隈の活動を揶揄してのことなのかしばし考え込んだことがある。そのことだけをもってしても一般常識が欠落していたのは疑いがなく、一般企業へのまっとうな就職などできるわけなかったのだろう。参道をながなが辿るもどちらかといえば下り坂。ほんとの山だと思っていたがそういうわけでもないらしい。うなぎ屋が多いのはどういうことか。山で海産物に乏しいからか。海沿いとまではいかないにせよ山奥というほどでもないだろう。昔はうなぎがとれたのだろうか。単純に、お参り帰りに贅沢するからか。それにしても多い。同業者が平気で隣り合わせに並んでいたりする。
新勝寺は敷地が広い。開基一世紀だけのことはある。しかし本堂はコンクリ。他にも平和の大塔とか聖徳太子堂とかいろいろあるがいずれも近年の築造。光明堂は古いかもしれない。釈迦堂が年季が入っていて、しかも深大寺の本堂くらいの規模、様式も似ている。これが元の本堂で、改築に際して移築したとか。さすが都市部と違って空襲で焼失したのではないようだ。大本堂では新春のなんとかやらで一般客が中に入って儀式をしている。かつてデモに加わった時と同じく高みの見物の気分で闖入しようかとも思ったが遠慮し、お参りして引っ返す。ここはもういいだろうか。帰りは雨。
総武線の直通があったので、横浜と川崎のビックでフィルム漁り。横浜は話にならない。川崎は場所のわりには品揃えがいい。しかし駅北口再開発で最近できた店舗なので、期限切れの品物なんて置いてあるわけがなかった。探るべきは池袋、新宿、有楽町の3店舗。帰って体調崩す。
 
青春18きっぷというものの意味がこの歳にしてようやくわかった。年齢ではない。鈍行列車でちんたら移動できるような時間を持てあました階層が「青春」と呼ばれている、ということなのだ。その階層の成員は経済力だけではなくまともな社会性にも欠けている。
愛知旅行で宿を供してくれた元同僚が、朝仕事へ急ぐため時間のないまま、別れ際に発したことばが心に残っている。「すみません、貧しくて」。彼は所得も資産もはるかに上の階層の人物なのだが、それでもそのことばは理解できる。自分は豊かなのだ、と。
労働者が労働力を金銭に交換するというのはもはやなりたたない。その彼にしてもいずれ経営者、資本家になるべき身分である。経営者だろうが管理職だろうが、勤務者とは時間を対価に換金する者の謂である。そのことは受付の仕事をしている人の話を聞けば如実に理解される。彼女らは単純に決められた時間を拘束されることをもって報酬を得ているのであって、その時間の内実は自分の読書やおしゃべりであり、労働と考えられる部分はほとんどない。ただただみずからの時間を売り渡して金に換えているのである。総じて若いうちは1時間いくらで換金されるわけだが、それならまだ恵まれていて、社会的責任が増大するほど際限なく時間を捧げさせられるようになる。さらには、精神的外圧や過重な肉体的負担により、いずれは実勤務時間外の時間までも、精神的ダメージからの回復や疾病の治癒に充当する必要に迫られたり、あげくは与えられた生物時間そのものが削られるような事態に至る。「ホワイトカラー・エグゼンプション」とかいう法案を経営者団体が導入させようとしているのは、末端労働者の実情も知らずに従業員よりも企業の利益を優先するからではなく、むしろ経営責任の重荷と過労とで忙殺されている自分らのつらさを全従業員に拡大させようという怨恨のためなのかもしれない。
そのような世の中にあって、こんなにも時間を湯水のごとく無駄遣いできる人間というのは、経済的には吝嗇であっても、時給換算の世知辛さや時間に対する吝嗇さとは無縁である。時間という生物の最大の資産において可処分割合の豊かな人間であるといえる。そんな境遇でいられる人間というのは、年齢を問わず「青春」と見なされる階層だ、そんな含みがこの名称にはあるのではないか。だからこのきっぷには年齢制限がない。時間の富裕層が「青春」というわけか。いまだにこんなことを続けていられるというのは恵まれているのだろう。それがさまざまなものを捨てた上で得られているのも確かなのだが。