某所に薬剤発注。2点に送料で2,100円。この工程はたぶんなんとかなる。数千年にわたって行われてきた技術であり、いくらでも先例がある。試行錯誤は必要で奥も深いだろうが、そこそこのところまではすぐ到達できると思う。その前後工程も確立された技術の応用。似たようなことを多くのひとがやっているのにできない理由はない。
しかし肝心の転換工程が難航している。これは跳躍。誰もやってないだけに、うまくいく保証はどこにもない。土台無理なのかも、とあきらめかかってばかり。一方、実は知らないところでとっくに出回っていて陳腐化しているのでは、との不安もぬぐいきれない。既視感があるような気がしだすと疑心暗鬼。さらに、仮に目論見どおりいけたとして、前例がなかったとしても、できてみたらさっぱりだった、こんなものどうにもならない、という結末も怖い。
そんな不安にさいなまれはしても、これをものにする以外に出口はない。他にもアイディアはあるけれど、どんな新機軸を編み出したところで、現代写真の枠内でやっている限りは所詮ここどまり。このままでは終われない。技術的障壁は必ず乗りこえられるはずだ。社会的障壁はさらに手強いだろうが、その心配はあとでいい。
展示が終わるとブルーマン化するのはいつものことだけれど、千々に乱れる思いをつきつめると、いろんな意味での無力さ加減に否応なく直面させられるからなのだろう。16年やってもまるで進歩がない。この先もずっとこうなのだろうか。年4回とかやっていればもっと軽く流せるのだろうか。特に今回はこの2年やってきたシリーズの初お披露目で期するものがあったせいか、ああしておけばよかった、という思いがなかなか消えない。次の展示がある、と思えるなら引きずらなくてすむのだろうか。展示という形式の限界はよくよくわかったつもりだし、別の土壌を開拓しようと格闘しているわけだが、展示へのやみがたい思いはなおも残る。