ほぼ快晴、だったような。よく覚えていない。
14時ごろ鎌倉着。本覚寺に入ったところで後悔。いや結構立派な寺院建築なのだが、赤白緑だかの幕がはりめぐらされ、この時期特有の準備にすでに入っている。考えてみれば当然のこと。ここは歴史もありそうで悪くないのだが。
それから妙本寺。ここも本覚寺と同じく日蓮宗。近くに日蓮宗の寺院が多数あり、鎌倉時代にこの地で日蓮が活動していたためらしい。長い参道を登っていくと左手の森の中に妙本寺。なかなか立派。と思ったら事務所だった。本堂はさらに石段を登った山門の奥にどっしりと建っている。祖師堂だったかもしれない。ここはすばらしい。俗世間の喧騒とは切り離された閑静な空間。背後は山の木々にとりかこまれているけれど、これでいいのではないかという気がしてきた。寺は一般に固有の山号を持っており、成田山新勝寺のように実際の地名に由来する山号もあるが、東叡山寛永寺や三縁山増上寺のように実在の地名ではなくなんらかの意味をこめて命名された山号もある。そして、山門をくぐったその先に鎮座している。つまり寺というものは、たとえ平地に建てられていても、それが位置する場所を山と見なされるような存在なのである。あるいは寺それ自体が山であると見立てられているのかもしれない。寺の一人称としての「当山」という言い回しや、宗派の統括的立場にある寺院を指す総本山という呼称からもそのことがうかがわれる。だから山中に建てられ木々に囲まれているほうが本来のありかたなのだろう。これまでのように雲その他の夾雑物が一切ない空のみを背景とするのには、京都奈良の広大な土地に建てられた寺院でもなければ無理がある。木を従えた寺もあっていいだろう。ここもまた多くの神社と違って本堂の手前は大きく開けているという印象を与える。冬は木々で陽がさえぎられるので、夏至近くの昼ごろにいずれ再訪。
ぼたもち寺なる常栄寺はこじんまり、八雲神社も小規模。別願寺はどこが本堂かもわからず見捨てられた風情。安養院は檀家以外立ち入り禁止だったか、三脚禁止だったか。いずれにしろ外から見る限りではさえない概観。上行寺はさっさと通過。妙法寺はあちこちにある。安国論寺は枯れたたたずまいの古寺。長勝寺は築浅ではあるが惹かれるものあり覗いてみるも日が傾いているので断念。早めの午前中に再度。戻って大宝寺はよくありそうな小ぶりな寺。以上4件は日蓮宗。さらに戻って教恩寺は記憶が薄い。駅近くの大巧寺でシメ。横須賀線の東側の南半分はひと通り制覇。
夜にY氏宅に寄り、前回忘れた薬品類や暗室用品もろもろを恵んでもらい、また車で運んでもらう。これでいよいよ自家プリントができる。