朝から快晴。遠い空がやや濁っている。
湯島聖堂。13時過ぎ着。完全順光の手前。大成殿屋根の稜線に鳩が数羽。ポラ切るが屋根のシャチホコらしいもののしっぽが長くてなかなかうまくおさまらず、水平も出しにくい。手持ちのタイプ57を使いきってなおフレームが決まらず、あとは当てずっぽうでやるしかない。そうこうするうち完全順光を過ぎて影が傾き出す。陽が低くなって看板に光が当たり、なおかつ門の影がのびることで、ネガの濃度が上昇する下のほうが暗くなるのは吉。受験シーズンのせいか参拝客がとだえない。でも受験生にしてはずいぶんと年輩の人も多いし、見るからにリーマン然とした人もいる。深閑としているとはいえ都内の中心で人通りが多いということもあってだろうか。晴れ着の奥様方やらの団体やらリタイヤ組やらが扉が閉じているのを不満がっている。こちらとしては宗教儀式を撮影したいのではなくて、あくまで建築物、というよりも構造物、もっといえば単なる物体とみなしているので、奥に孔子肖像があるのが見えたりするのよりもかたく閉ざされていたほうが都合がよい。だからわざわざ出直してきたわけだ。あんたらもそんなに拝みたいんなら「こないだは開いてたのに」とかがたがた文句並べず土日に出直してくることだ。鳩がいついて去らないので14時頃カットフィルム、EV15.2、50s。上の余裕をとってさらにカットフィルム、と思ったが考えてみたらベンチでながなが話しこんでいる受験生らしき男女がフレームインしている。いくら見てもわからず考えてようやく気づくというのが情けないがどうにもいたしかたない。待てども去る気配がないので、ついでに持っていったEOSをかざして追い出しにかかるが敵さんも並のバカップルではないらしくまるでひるまない。こうなったら根くらべとばかりにひたすら待つ。さすがに3時頃になり寒くなったか引き上げていき、期を同じくして鳩も失せ、ここぞと思ったら異国後を話す若い集団が引率の教師らしい年かさの人物に引き連れられてぞろぞろやってくる。徳川幕府の創建とはいえ孔子を祀ってあるわけだから、中国語を話す人々には場を譲らねばという気分になってくる。そういえばていねいに何度も深々と礼をする人がときどきいて、あれは日本人の習慣にはない動作だと思う。中国系の人たちなのだろうか。いなくなったところでカットフィルム90sだったか。さらに上の余白とって露光を始めたらひょこひょこと受験生らしい女性がやってきて正面に入ってしまう。70sで打ち切って、箱にはほぼ触ってないことだしと再開し、合わせて2m