終日特快晴。
大宮、氷川神社。このところ特快晴なのに撮影に出られない日が続いていたが、ようやくフィールドへ。大宮という近隣の地ではあるが、行ったことのない場所に向かう途上では心が躍る。穏やかに晴れ、撮影の成否は別としてもとにかく来てよかったという気分になる。写真をやっていくことが対価に結びつかず、社会的評価どころかごくわずかな人にしか展示を見てもらえない以上は、こういうふうに、写真をなしていること自体から、そのときどきに報酬を得ていくほかない。結果としてのご褒美を期待して、報償をさきのばしにしてはその期待を裏切られつづけていくならば、やがて立ちゆかなくなるだろう。そのつどの過程の中によろこびを見いだせるなら、この営為の意義を見失うことはないはずだ。
ここの参道も長い。1月も末の平日だというのに参拝客が多い。厄払い目的の人が多い模様。門が新し目で派手で立派。門の先の拝殿?は古めかしいが、ここも本殿は仕切られていて直接参拝できない。敷地の奥にも入れない。裏には東京大神宮などとは違ってちゃんと鎮守の森があり、敷地内の森は鉄条網で囲われていて立入不可。その背後には大宮公園が広がる。本殿はあきらめて、門がいい具合なので押さえることに。門外だから撮影許可もいらんだろうと無断で店開き。東向きなので14時前でもクロスからサイドライト寄り。木の影もできているのでテスト扱い。セットしてみたらポラホルダがない。まあそんな気はしてた。断念して収納してから、ポラを切らずQLも使わずカットフィルムホルダだけならば充分に撮影できることに気づく。実際1年くらい前はそうしてやってたわけだ、カットフィルムホルダならあるし、QLより平面性がいいからこっち主体に戻すつもり。もう一度組み立てて、EV15.1、1m、同秒時で空余裕とってさらに一枚。現像上がったら2枚目でも上が切れていた。やはりポラは必要。早朝か午前中が日照条件がよさそうだが、木の影まではなかなか読めない。いずれ再撮。撮影したのでおまいり。厄払い客らしい一群が内側の門のさらに先まで入り込んでいて、その前で神官が紙のついた棒を振っている。しかるべき料金を支払った特別扱いの客の背中を拝む格好だが、まあ細かいことは気にしない。柏手打ったのは去年10月の鶴岡八幡宮以来か。つまり神社はこの2カ所でしか撮影してないということだ。ずいぶんまわった気もするのだが。ともあれごえんがありますように。帰りに近所の護国神社。戦没軍人を祀る招魂社が改称されたという、靖国の出張所みたいなもんだろう。公園の中に参道があるが、神社のすぐ手前で車道によりぶったぎられ、正面前を車が走っていて気の毒。その後埼玉県立歴史と民族の博物館。弥生式住居が復元されていて、千木が突きぬけている。さすがに鰹木はない。神明造や大社造の神社の千木は多くの場合装飾的意味合いしか持たず実用性には乏しいように思われるが、この住居では構造上の必要を持つ部材であると察せられる。でもあんなに長く屋根の上に張り出させるのはやはり飾りなのだろう。近所の公営プールの飛び込み台に惹かれるも木の枝が目障り。道沿いに何とか大黒天があり、神仏習合なのか、神社か寺かよくわからない。何とか地蔵があって瓦葺きなので寺かとも思うが鳥居がある。さいたま市立博物館はアスベスト除去で休館中。