写真について

脱「写真」宣言

誰もが「写真とは」と語る。それは、写真の「本質」を語っているかに装いながら、その実みずからの好みや信条を「写真とは何か」にかこつけて表明し、同時に、気にくわない相手をおとしめているにすぎない。各人各様に「写真とは何か」の答えがありうるのだ…

ひきつづき切った貼ったの作業。たしか2年前にこしらえた結像部をばらしてボードなど使いまわし。あの時は実らなかったけれど、よみがえっておくれ。 まったく新たな仕掛けを開発していると、しくみそのものはありふれていても、それをなんらかの目的と結び…

またひらめいた。 こいつ、このひらめきというやつだけは、ものごころつく前からのおなじみさんだ。時おり訪れてきては、高揚させてくれる。 前人や周囲のひとびとの行く末を見るにつけ、こうしたひらめきというのは歳を経るにつれて枯渇してくるものらしい…

かつての阪神大震災後、被災地にカメラを持った連中が押し寄せた。おまえは行かないのか、すごいものがあるのにみすみすチャンスをフイにするのか、とまで言われた。もはや流行だった。 彼らが現地で被災者から「俺らをネタにして一山当てたいんだろ」などと…

「普通の写真」関連

糸崎さんが当方の記事に反応をくださっている。いろいろ思うところはあるが、1点だけに絞る。 ぼくの場合は実のところ「器」よりも「中身」を重視しており、むしろ「中身」に合わせて「器」をしつらえている。 「中身」とは写真に再現されている個々の具体的…

「普通の写真」蛇足

あんなことやこんなことを述べていると、どのようにして変な写真をやるに至ったか、と問われるだろう。 街歩きで、あらかじめ特定の対象を決めることなく目についた場面を撮影するという場合、どこをおもしろいと感じるかについては、おおむね4通りあると思…

普通の写真(承前)

19日の続き。鑑賞されることを目的としてものされた写真に範囲を絞った上で、今やっている、あるいはもう終えようとしているというべきなのかもしれないが、一連の写真が「普通の写真」ではないという場合、普通の写真とはなんだろうか。 市販のカメラや、特…

普通の写真

昨夜Ricohのコンパクトデジタルカメラcx2を借り受ける。親にあげた同じRicohのG3より薄くこじんまりしているが、プラ製のG3と違い金属でずっしり感じる。数世代あとの製品。 貸してくれたのとは別の人物から、普通の写真はやらないのか、あなたの普通の写真…

でも、もういい。今後は空の青さを気にしなくていいのだ。 気象条件に左右されない、雲が出ていてもいい写真をやろう。 次も、表面的な効果だけで深みがないとか、生きざまが伝わってこないとか、何がいいたいのかわからないとかいう、これまでの10数年と同…

やっぱり光だ。あたりまえのことだが。光を時間で補うことはできない。つまり、低照度だからと露光時間を延長したからといっていい結果は得られない。光を充分に与えなければ、光の乏しさがどうしても露見してしまう。そんなのはしばらく写真をやっていれば…

「器用さ」の諸相

Sのネガ15枚を一気にプリント。眠い。いや自分がではなくネガが。自分もか。 大全紙から六切を大量に切り出し。慣れれば全暗でも難なくできる。これは誰にでもできる作業なのだろうか。でも美大での写真の実習で、カットフィルムホルダにシートフィルムを装…

盲目者の写真に関して再考

20100725の日誌でおおえさんからいただいたコメントの重要性を看過していた。うかつであった。 あるひとが、自分のための写真と他人に見せていい写真という区分をしていた。 われわれ鑑賞対象としての写真をやっている人間は、自己満足という非難を怖れるあ…

ものをよく見たいなら

味覚は視覚に左右されるという。料理は目で味わう、などとしばしば語られる。目が見えなくなったり事故で色を知覚できなくなると食べ物をおいしく感じられなくなるし、目をつぶって何を食べているのかわからない状態でものを食べさせられると味がよくわから…

アウトプットと価値のピーク

ある写真家の個展を見た。以前はロールサイズの印画紙を2枚つなぎにした巨大プリントの展示をなさっていた人物だが、インクジェットになっていた。ネガプリントなら光学的引き伸ばしをやってくれるラボはまだいくつかある。しかし8x10のポジフィルムなので、…

議論のその後

先だっての阪根さんとのやりとりで得られた最大の収穫は、ずいぶん凝り固まってしまっていたと気づかせてもらえたことであった。 阪根さんが指摘なさった、「文脈や過去の作品に関係なく」「個々の問題意識において撮っている」写真家と、そうではなく、過去…

一昨日の記事でのご指摘をくださった阪根正行さんからお返事をいただいて、それに返信したので、そのやりとりの内容を整理し手を加えて掲載しておく。なお阪根さんのブログでもこのやりとりについて言及されている こんばんは。 メールありがとうございます…

オリジナリティの追求にとらわれているといった指摘をあるひとから受けた。 それはその通りだ。先刻承知である。 オリジナリティを金科玉条とするのはもう古い、今のひとはそういうモダニズムにはもう縛られていないのだと。 そうなのかもしれない。だが古い…

出身高校の近くに行ったので外から覗いてみたら、「写真部」の部室ができていた。われわれの在校中にはなかった。在籍していた文芸部は、卒業して数年後にはアニメ連中に占拠されてしまい、10年ほど前に行ったときには映画部に部室をのっとられて消滅寸前の…

こうも考えられる。バーゼルの路線バスに乗った際の切符、ベルリンへの夜行列車の乗車券、ホステルの支払い明細、そうしたものが記憶を呼びさますのは、それらが、バスに乗ったあの時に買って持っていた他ならぬその切符そのものだからである。以前も述べた…

毎年この時期に領収証やらの整理をして経費を算出しながら、ああ、あの時あんなものにも出費したな、と思い出すのだが、この日誌を読み返すよりも記憶がリアルに蘇ってくることがしばしばある。写真というメディウムを工業的・経済的・社会的にとらえようと…

写真の周辺にあるもの、比喩ではなく現実の話

雨上がりだが巻雲や高積雲が盛大に広がる。ひきつづき器の組み立てなど。たぶん定規での計測を誤ったのだろうが、5mmほど短く切断してしまっていた。手間のかかる仕上げの工程はまだなので、また買ってきてやりなおすかとも考えたが、試してみるとゆるいもの…

朝から特快晴。ところが仕事を上回る大一番が午前中にある。でも写真器3器を書類鞄に忍ばせ、三脚もケースに入れて持っていく。それどころじゃないはずなんだが、敗れた時の支えがほしい。立ち直れないほど打ちのめされても、三脚が杖がわりになってくれるよ…

メンテとしての撮影

撮影行きたいなあ。 天気よかったなあ。 といっても、撮影に出ないと勘が衰えちゃうなどと案じているわけでもないから、しばらく撮影がごぶさたでも別にさしたる支障はない。 ある写真家は毎日同じ対象を撮影しているのだという。勘を鈍らせないために。ある…

「失敗するからおもしろい」のではない

例によって前日の放言の続き。 「失敗のない写真なんておもしろみがない」と書いたのだが、これじゃあまるでそこいらの自己啓発とかライフハックみたいだ。「失敗があるからこそ成功のありがたみがわかる」とか「失敗には成功のヒントがある」とかその手のや…

昨日の続き。金にならない写真を長らくやっているひとの多くは写真を「水のように欲して生きている」だろう。だが他人のなした写真に対してそのように接するひとは、おそらくほとんどいない。それが、写真評論やらの多くが……な所以なのかもしれない。 ジャン…

快晴だが遠くわずかに雲。次第に雲が増えてくる。15時過ぎ千葉駅着。駅前の天蓋の下に立つと日が見えない。そうか前にここで撮影した時は夏だった。ここは飛ばして千葉都市モノレール栄町前交叉点。雲はあるが光線方向はちょうどいい頃合。はじめはおとなし…

水のように欲して生きている

あるところで「文学を水のように欲して生きている」といういいまわしを見かける。自分自身はまったく違うけれど、確かにそういうひとびとはいる。渇いていて、渇きをいやす水を求めているひと。映画をそのように欲するひともいる。もうすっかり疎遠になって…

暗室作業をやっていると、何かしら進展した気分になる。露光もして写真をやっていると確認できるからなのだろう。写真器づくりは、ものをこしらえているという実感はありあまるほど与えてくれるのだが、先が見えず、果たしてどこかにたどりつくのだろうかと…

貸画廊を借りていたひとびとはどこへ

またまた続き。銀座あたりの貸画廊の衰退の受け皿がどうなっているのかという点について、公募コンテスト類と海外進出だと思っていたのだが、どうやら各種アートフェアとかプレゼン型売り込みイヴェントらしいとやっと気づいた。そのへんの情報を遮断してい…

昨日の続き。写真の見かただけでなく、撮影からプリントに至る技術についても展示会場で学んだのだった。こちらは技術指導書を繰り返し読んだのが基礎ではあるし、実際の撮影や暗室で試行錯誤して覚えたほうが多いだろうが、その結果の階調なりシャープネス…