またひらめいた。
こいつ、このひらめきというやつだけは、ものごころつく前からのおなじみさんだ。時おり訪れてきては、高揚させてくれる。
前人や周囲のひとびとの行く末を見るにつけ、こうしたひらめきというのは歳を経るにつれて枯渇してくるものらしいと、ずいぶん前からうすうす覚悟してはいた。老境にいたって大輪の花を咲かせるひとも、若い頃の着想をふくらませ彫琢していって長年かけて実らせる、ということが多い。誰しも歳をとるにつれ衰えゆくものであり、自分とてその例外ではない、それは否定すべくもない。
だが、この歳になっても、まだ次々と着想が湧いてくる。若いうちに功成り名遂げたひとは息切れするような頃合にさしかかっても、このヘンテコな思いつきだけは、まだ衰える気配がない。とはいえ、いつまで続くかわからない。さらに、たいていは実現の可能性なく潰えるか、どうにか現実化にこぎつけたとしても、よたよたしてばかりでまともに歩けないまま絶滅してゆく突然変異種のように、無駄な徒花で果てるかもしれない。それにしても、あぶくにすぎないのかもしれぬアイディアだけは、性懲りもなくかわるがわるやってくる。
ひょっとするとこのなかにとてつもない可能性を秘めた種が、深く豊かに伸びる鉱脈が、あるやもしれない。そんなものがこの自分に降り注ぐだなんて幻想でしかないかもしれず、芽の出ない種だったとあとあと失望するだけかもしれないけれど、妙ちきりんな着想が浮かんでくるかぎり、しばしの間あえかな夢を見続けていられる。