「失敗するからおもしろい」のではない

例によって前日の放言の続き。
「失敗のない写真なんておもしろみがない」と書いたのだが、これじゃあまるでそこいらの自己啓発とかライフハックみたいだ。「失敗があるからこそ成功のありがたみがわかる」とか「失敗には成功のヒントがある」とかその手のやつ。冗談じゃない。
亡くなった鈴木清の奥さんがこんなことを語っていた。奥さんは鈴木清と知り合って間もない頃、鑑賞対象としての写真に通じているわけではなく、あたりまえに撮影した観光写真か何かを鈴木清に見せたところ、失敗した写真、世間的には失敗しているようにしか見えない写真ばかりをおもしろがったという。奥さんはどうして彼がそんな写真に興味を示すのかわからなかったのだそうだ。鑑賞対象写真というジャンルに足を突っこんでないひとの写真を見た時、似たような反応を受けた記憶がある。
失敗があるからそれを乗り越えた成功がおもしろい、のではない。全然違う。
失敗から得られる教訓などではなく、失敗そのものがおもしろいのである。失敗こそがなにものかの開示となる。「失敗は成功のもと」ではなく「失敗すなわち成功」。すでにできあがった成功と失敗の図式に縛られていては見過ごしてしまうけれど。現今の、写真についての写真とはそういうものだ。