毎年この時期に領収証やらの整理をして経費を算出しながら、ああ、あの時あんなものにも出費したな、と思い出すのだが、この日誌を読み返すよりも記憶がリアルに蘇ってくることがしばしばある。写真というメディウムを工業的・経済的・社会的にとらえようとするなら、写真とはまずもって消費活動であり、何をいくらで買ったかが写真の大枠を規定する、ということになる。実際、手許にある機材や感材の枠内でしか写真はできないのであり、そうした現実的条件は経済的振る舞いにほぼ依存する。だから、何を買ったかが写真を左右するのであり、それを生々しく伝える種々の書類が、時としてこの日誌よりも、有無を言わさず往時を思い起こさせる。写真器をつくるための真鍮板や塩ビを加工した日付や個数といった、この日誌にはいちいち書ききれなかったような些細な事実が客観的に逐一記され、それに要した費用も冷厳と突きつけられ、この1年何をやっていたのだろう、と思わずにはいられない。年々歳々それを繰り返していく。