抜粋

ある応答

ある人物の展示を見たところ感想を求められ、説明がないと意図通りに見えないかもしれず、文字情報という文脈をはぎとったら成立しないのではないか、と伝えたところ、ならば文脈に依存しない美術品は何か、どんな美術品や美術家が好きなのか、と問われた。 …

裸の王様は誰か

誰がどう見ても価値がないのに、みながこぞって賞賛している代物やそれが帰属する人物をさして、あれは裸の王様だという。そうではない。誰それが裸の王様だとか、ひょっとして自分が裸の王様かも、などという主張は的外れというほかない。 個別の誰かが裸な…

「芸術家」の終わり(「芸術」の終わり、ではなく)

近代的芸術家は近代で終わった。そのはずなのだが、いまだにそれは根強く残っている。 近代的芸術家とは何か。俗世間の無理解およびそれに起因する貧困と孤独に戦い、死後に発掘される、というロマンティックな芸術家像が世間的了解だが、それは問題の一面に…

著作権的/特許的

商標についてはいろいろ調べたが、日本では写真がらみの商標があまり登録されていない。 写真がらみの登録では、感材メーカーやカメラメーカーがほとんど。大手プロラボはさすがに登録しているが、創立後ずいぶんたってから。それも社名や流通上のありふれた…

古いものには価値があるのか

なぜ老人が敬意をもって遇されなくなったのか。儒教思想の退潮とかいろんな説明は可能だろうが、合理主義者の回答はこうだ。老人が増えたから。 かつて短命で死ぬ人間が多かった時代には、高齢まで生きのびている人間の価値が高かった。頑健さや運などさまざ…

かつての阪神大震災後、被災地にカメラを持った連中が押し寄せた。おまえは行かないのか、すごいものがあるのにみすみすチャンスをフイにするのか、とまで言われた。もはや流行だった。 彼らが現地で被災者から「俺らをネタにして一山当てたいんだろ」などと…

やっぱり光だ。あたりまえのことだが。光を時間で補うことはできない。つまり、低照度だからと露光時間を延長したからといっていい結果は得られない。光を充分に与えなければ、光の乏しさがどうしても露見してしまう。そんなのはしばらく写真をやっていれば…

曇。8時前から歩いて中心部へ。写真器とフィルムと三脚の一式を持っていくが、写真器にはフィルムを装填しておらず、ダークバッグも入れ忘れたので撮影できない。ただ担いで歩くだけだが戻るのも面倒。市庁舎を仰ぎ見、Avenue of the Artとの別名があるBroad…

ものをよく見たいなら

味覚は視覚に左右されるという。料理は目で味わう、などとしばしば語られる。目が見えなくなったり事故で色を知覚できなくなると食べ物をおいしく感じられなくなるし、目をつぶって何を食べているのかわからない状態でものを食べさせられると味がよくわから…

こうも考えられる。バーゼルの路線バスに乗った際の切符、ベルリンへの夜行列車の乗車券、ホステルの支払い明細、そうしたものが記憶を呼びさますのは、それらが、バスに乗ったあの時に買って持っていた他ならぬその切符そのものだからである。以前も述べた…

毎年この時期に領収証やらの整理をして経費を算出しながら、ああ、あの時あんなものにも出費したな、と思い出すのだが、この日誌を読み返すよりも記憶がリアルに蘇ってくることがしばしばある。写真というメディウムを工業的・経済的・社会的にとらえようと…

技術の外在化

またまた補足。デジタル工程についてまた否定的なことを述べたけれど、AdobePhotoshopの機能や操作や挙動がわりあい合理的にできているのをうっかり忘れていた。合理的に設計されていて、なおかつ標準化された道具なのだから、これは写真技術を十全に継承し…

職人と技術

なおも8日付日誌の補足。10数年前から、技術について述べると必ず、職人になりたいんですかとか職人崇拝だなどと言われてきた。まったく違う。しばらく前まで職人をむやみに持ち上げる風潮があったせいもあろうか。 職人といわれるひとびとにもいろいろいる…

さらに補足

写真における合理性を法治国家における法になぞらえたけれども、法治国家の構成者すべてがつねに厳格に法を遵守しているとは限らないように、写真の道具を使うにあたって必ずしも合理的に行動しなければならないわけではない。ただ、そうしたルールに従わな…

根拠としての技術

昨日の日誌で「技術、さらにはメディウムが、……われわれが写真をなす根拠であり出発点である」と述べたが、それよりも写真をやろうというわれわれの意欲なり意志が最初にあるのではないかと思われるかもしれない。やりたいと思わなければ何ごともはじまらな…

熱血のひとはいつの世にもいる。曰く、技術じゃなく内容、感じるままに撮りまくれ、考える前に押せ。それはたいへん結構なのだが、そうした猪突猛進なかたがたが写真をかたちにできるのも、技術の下支えがあってこそなのは見過ごされがちである。 合理主義は…

写真における様式

鑑賞対象としての写真と商業写真との違いとは、前者はひとつの様式の提示であるのに対し、後者は多くの様式の併置だという点にある。鑑賞対象としての写真では、誰しも、複数の制作物を通じて統一的に認められるような、そのひと固有の作風なり主題といった…

標準化された写真

言語とはもっとも標準化された道具である。私的言語や喃語など非公共的な言語は別として、公共的な言語は誰にでも使えるよう標準化されている。でなければ言語として成立しない。その中でももっとも標準化が徹底しているのが数学言語・論理学言語・プログラ…

文章のほうが写真よりおもしろいと言うひと

今までやってきた写真よりこの日誌のほうがおもしろいと言ってくるひとがいる。 対する答えはこうだ。文章は誰だってわかりますから。 文章は読めばわかる。この日誌がわかりやすいかどうかという話ではない。当然のことではあるが、ことばとは元来思考や感…

ガラパゴス化を徹底させねばならない

国際標準化されていない独自規格に閉じていることが、日本の通信業界なり各種製造業の成長障壁になっているとされている。国内需要の縮小が不可避である以上、国内市場という閉鎖系にこもっていてもジリ貧なのは目に見えている。 だが、今やっている写真では…

消えていく人々

20年ばかり鑑賞対象の写真というジャンルを眺める間に、一発屋やいつしか消えていく人というのをずいぶん見てきた。ひところもてはやされて調子よかったがいつのまにかどこかに行ってしまった人。次第に衰えが見えてきていつしか廃人同様と化してしまう人。…

失敗

針だけでは消せず、周囲だけが白くなってかえって目立つようになってしまった。やはり鉛筆併用で完全に白く抜くしかないのだが、それをプリント上でさらに埋め返している時間がない。二番手のネガにあっさりさしかえ。 写真は光を扱う作業であるだけに、その…

さらに記憶について

過去の写真はゆかりの品物よりも第三者にとって豊かな情報を与える、なぜならそこに人の姿とふるまいが写されているから、との主張に対しては、次のようにも言える。感情を喚起するのは写真や品物にあてがわれた文脈のほうであり、写真や品物に縁のあった者…

回想とか記憶とか

先月父が他界した。そのこと自体は写真とはなんの関係もないのでここで述べるべきことはない。ただ、古い写真が出てきた。たいていは父が撮影したと思われるもので、まったく知らなかったがなかなかうまい。ほとんど見たことのなかった自分の幼時の写真や若…

ふた晩保管後の薬品をプロセッサに投入。印度の味の瓶に入れてあった発色現像液は密栓していなかったからか空気が多かったせいか褐色に変色し黒い沈殿物が見える。カレーのにおいと混ざって独特の臭気を放つ毒液と化す。これはやめておく。鏡月グリーンのPET…

効果と技術

効果というのは、純粋志向でロマン派様式な精神主義の人が蛇蝎のごとく忌み嫌う語である。だが、目的連関によって写真というメディウムの諸要素を編制していく上で、効果的であるか否かというのは有用な価値指標となりうる。画面内の階調の布置を統制する尺…

長時間露光では写真に時間が蓄積する、あるいは堆積する、というような言いまわしもあったかもしれない。惜しい。近いようだが見事にはずしている。正しくはこのように述べるべきである。すなわち、写真では光が蓄積される。その意味はというと次のようであ…

写真は「時間を写す」か

長時間露光の写真をめぐりしばしば語られるのが「時間が写っている」などという常套句。ピンホール写真、夜景、古典印画法などの撮影技法が用いられるたびに、この手の紋切り型が繰り返される。しかし、長くシャッターを開けていれば時間が写し込まれるなど…

タイポロジーの日本的変容

コレクション写真とでもいうべきジャンルがある。写真を撮りためていくといつしかコレクションのようになるものだが、それにとどまらず、特定の分野の対象への興味に動機づけられ、その分野を網羅し掌握したということに支えられているような種類の写真群を…

文化的変容・伝播なるものへの疑問

受容史とか精神史、さらには文化史といったものは一般に、なんらかの共通認識なり認知的知識構造といった文化的傾向がある時期に広まっていき定着した、といった記述様式を旨とするわけだが、そんなに急に、かつまんべんなく伝播するものだろうかという疑問…