失敗

針だけでは消せず、周囲だけが白くなってかえって目立つようになってしまった。やはり鉛筆併用で完全に白く抜くしかないのだが、それをプリント上でさらに埋め返している時間がない。二番手のネガにあっさりさしかえ。
写真は光を扱う作業であるだけに、その工程では光を遮断した暗闇がしばしば必要となる。デジタル処理にしても、明室などと称されているのは、モノクロのプリント暗室が真っ暗でないのと同じくらいに実態とかけはなれている。本来ならば映り込みや環境光の目への影響がないように遮光された部屋にディスプレイを置かなければならない。ここも一応そのようにはしてある。そこでは当然ながら視覚に頼れない。もっぱら触覚と聴覚で対象と対話することとなる。蓄光テープでばみりしても限界がある。カラー処理工程において、広大なバット内のどこかに行ってしまったテストピースをサルヴェージするのは、ゴム手袋ごしとはいえ文字通りの手探りである。そのテストピースを印画紙シートから切り出すにはカッターを触覚で扱うしかない。発光している蓄光テープに印画紙が接触したら確実にかぶる。ロールフィルムを現像リールに巻き込んだりシートフィルムをハンガーにセットしたりするのも感触を頼りにするほかない。われわれは写真をやっているからといって視覚だけで世界と関係しているわけではないのであり、写真というメディウムは光を遮断した領域によっても編制されている。
そしてまた、その暗闇も、得体の知れないものが棲まう計り知れない暗黒などではない。合理的な道具連関によって整序され、すみずみまで空間の統御がいきとどいた闇である。少なくとも暗室作業に使う限りではモノの配置を把握しておかなければならない。でなければ必要な道具に手が届かず、移動するたびにそこらじゅうでけつまずくはめとなる。それは明確な目的にもとづき明瞭な方法によって設営された闇であり、いわば明証的な暗闇なのである。