消えていく人々

20年ばかり鑑賞対象の写真というジャンルを眺める間に、一発屋やいつしか消えていく人というのをずいぶん見てきた。ひところもてはやされて調子よかったがいつのまにかどこかに行ってしまった人。次第に衰えが見えてきていつしか廃人同様と化してしまう人。やめられずに醜態を晒し続ける人。きれいさっぱり足を洗ったという人。他もそうなのだろうがこのジャンルも死屍累累である。
これだけいろいろ見てくると、こいつは長くないな、とだいたい察しがつくようになる。案の定、しばらくすると鳴りをひそめる。というより、泡沫芸人のように消えていくのが見え見えなのに、なんでこんなやつをちやほやするんだろう、と思うことしきりである。それとも、1、2年で潰れるのがわかっていながら笑えないお笑い芸人を消費するのとまったく同様に、賞味期限が明らかな連中をとっかえひっかえしていくのが今風なのだろうか。そのわりには、「せっかく注目して支援してきたのにやめられちゃうと困る」などとつくりてを非難する手合いが見受けられるが、先行きが乏しいのを見抜けないおのれの眼力の低さをこそ恥じるべきなのではないかと思ってしまうのは間違いなのだろうか。そいつらの任命責任が問われたというのを聞いたことがない。

どのような写真が消えていくか

続かない写真には共通点がある。アイディア勝負のあざとい写真で、先の展開の余地がなさそうなギミック依存型の写真は、もてはやされているものほど一発屋へまっしぐらとなる。総じて斬新に見える写真ほど飽きられやすい。同時に、やってる本人も飽きやすい。仕掛けの目新しさで注目される場合、その仕掛けが独自の見えを提供するものであるほど、癖が強くて、対象や設定をすげかえてみても全部同じに見えてしまってたちまち行きづまるのだ。現実を固有の様式に落とし込む際の変換方式の奇抜さが売りなのだから、ひととおりの素材をやりつくしてしまえば、あとは何をやってもかわりばえしなくなる。何度も述べてきた、串揚げで中身がどれほど変わったところで、同じ調理方法であればいずれ飽きが来るのと一緒である。
仕掛けの独自さで訴えるならば、単に目先を変える延命策ではなく、仕掛けそのものを変容させていかなければ続けられない。そのためには可塑性の高い仕掛けを採用している必要がある。でなければ、次々と新たな仕掛けを開発するしかない。みなそれをやろうとして、いずれ力尽きていくのだ。
特に目新しい仕掛けというのではないが、独特の作風が確立されている場合には、撮影対象や撮影場所を拡張していくことで息の長い活動ができる。しかしながら、こうした流儀で可能なことはおそらくふた昔も前にたいていやりつくされてしまっており、「独特の作風」の空き地はほとんど残されていない。今できるのはかつてなされたことを知らずになぞっているか、意識的に模倣しているにすぎない。対象の入れ替わりと描写や技術的進展で今っぽく見えるだけで、実際は雛形がどこかにあったようなものばかりである。だからこそ、新しいことをやろうという人は、立錐の余地もない既存の土地を離れて新規の埋め立て地の開発に走るように、新たな仕掛けに活路を見出そうとするのである。そして「作風」の独自さに頼る限り、誰でもわかるぱっと見の目新しさには欠けるし、多少息が長いとはいえいずれ飽きて飽きられる。
最も消耗せずに長く続けられるのは、ことさらに新しさなどねらわず、あるいは新しさやオリジナリティなどといった意識を持たず、さらには形式的意識も持たず、淡々と興味の赴くままに制作していく、という態度であろう。それはすでにできあがっている様式に依拠せざるをえないし、あるいはさまざまな様式にそのつど間借りしているわけなのだが、意識しない限り当人にとってはなんら支障とはならない。多くのスナップがこれであり、それらはみな先行するスナップ写真の様式を継承している。しかしこの制作態度ではあらゆる点で手応えを得にくく、大きな壁が出現するような事態もないかわりに、長期にわたって意欲を持続させていくのは最も難しいかもしれない。そして、大半はいずれ無駄じゃないかという疑問に抗しきれず潰れていく。「好き」やら「楽しい」が動機では早晩煮詰まる。

どのような写真家が消えていくか

写真を見て、打ち上げ花火で終わるだろうなと予想されるものも多いが、写真家という人物から、この人は長くはないと感じられることもある。
妥協を許さない人、みずからに対して厳しい人は、思うようにいかないと納得できずにやめていくことが多い。逆に言えば、要求水準を低くしておけば、マンネリになっても他人のパクリでも際限なく量産できるわけだ。
賢すぎる人は短命である。先人の業績を知悉し、それに比較しての自分の評価を適切に判断できてしまうから。過去のものなどすべてゴミだ、自分がいちばん、と臆面もなく言える厚顔さは不可欠の資質といえる。だいたい冷徹に物事を客観視できる人はこんなものになんの価値もないことくらいすぐに気づいてしまう。足りないくらいのほうが続けられる。でなければタガの外れたエキセントリックさをもっているか。
得体の知れないネガティヴパワーで突き進む情念系には底力があり、ちょっとやそっとの外圧には屈しないだろうが、内側から崩れてしまう場合がある。
雰囲気とかスタイルとかでやっているとかいうようなのはたちまち消える。見ればわかる。こいつ3年後には消えてるな、と。たいていはこれ。
淡々とやっている人がいちばん強いと思う。でもそれは「現代○○」の制作者からはもっとも遠い態度。発表すること自体が煩悩の発露である。

なぜ終わるのか

消えるとは他人なり世間から見たとらえかたであって、当事者にとっては、消えるではなく終わるという事態として立ち現れる。終わっていながら消えていない人もいるのだが、それはひとまず措いておく。終わるとはどういうことか。どの時点で終わったと感じるのか。もう先が見えた、このままやっていても今以上の展開はない、と悟った時に終わったと感じるのだろう。
それは、自分の制作能力はここまでだ、これを超えることはできない、と実感されるという、みずからへの認識のかたちで現れることもあれば、社会的評価がここどまりだ、というふうに痛感されることによるということもある。多くは両者が複合しているのだろうが、その人が最大の目的としていて、制作の根拠としていた部分が崩れるときに、もはや続けていけなくなるのだろう。端的に言えば、これが限界だ、ということである。
つまり、悟ること、理解することで終わりを告げるのである。
それは、見る側、語る側にしてもそうなのである。
長いこと見続けてきたとはいいながら、自分自身が、見る側としては終わってしまった。もう鑑賞する側としてはほぼ完全に退却している。特に制度的現代美術を自分から見に行くことはまったくなくなった。せいぜい、知り合いの個展に行ったついでに銀座を回る程度。ギャラリーからDMもこなくなった。写真はまだ行けば見るけれど、確認して終わりだろうと予測の上で行き、実際にその通りである。
もうわかった、ということである。
これにしても、なぜ遠ざかったかと考えてみれば、見てもつまらないということなのだが、10年くらいはつまらなくても見ていた。それが、ある時期を境に見なくなったのは、もうたいがいわかった、もういい、と判断したということだろう。むろん個別の制作物はそれぞれに仕掛けを凝らして多様な見かけを示してはいるのだが、所詮は意匠の多様さにすぎずそれらを基礎づける枠組がどれもかわりばえしないのだ。絵画など固有の制度内価値基準を有するジャンルを「わかった」とは到底いえないが、いまどきの現代美術の「お作法」に乗っかっているものは大筋で見透かしてしまった。
昔からそうだが、現代なんちゃらの鑑賞者は10年くらいでたいがい消えていく。見つくしたわけではないにせよ、だいたいのところは理解した、もう充分、飽きた、ということだ。自分もその例外ではなかった。飲食店で、いくつかのメニューを食べれば、その店はわかった、と判断できる。その店の水準、味の傾向、仕事の内容を見抜くには、すべてのメニューを食べる必要はない。同様に、めぼしいものでだいたいわかってしまう。飲食店とは違う、と思われるかもしれない。一人の人がつくる味の幅などたかが知れている。だが、そういう料理人が数え切れないほどいて、豊かな食文化が構成されている。たくさんの人の多様な所産によって成立し、十把ひとからげでくくれないような豊饒さをそなえるのがジャンルというもののはずだ。ところが、そのジャンルが多様性を失い、主流の種ばかりがのさばって亜種が生存しにくくなるような状態になっているからこそ、あるところまで行くと察しがついてしまうのである。これは衰退である。衰退をくいとめようとあがき、ファッション化に汲々とし、高年齢層を排除するほど幼児化が進行し、ますます大人に見放されていく。
そしてこの先さらにその傾向は強まるであろう。現代美術の「難解さ」が繰り返し攻撃と嘲笑に晒され、わかりやすいことが要求されてきたからだ。そしてわかりやすくフレンドリーで親しみやすいものが出回ることとなった。わかりやすさを旨としてこしらえられているのだから、その要求に忠実であればあるほど、すぐにわかってしまうのは当然のなりゆきである。そしてたちまち飽きられ、見捨てられる。
つくる側と見る側だけではない。書く側もだんだん消えていく。20年前から、ライターやら著述業者と職業的に接する立場にあり、ちょっと目立ってもてはやされてはあぶくのように消えていくライターをずいぶん見てきた。若いうちはちやほやされるし勢いで書き散らせるのだが、いずれたくわえも使い切って出がれていく。

終わるのは責められるようなことなのか

みんな一発屋なのだ。だが、はたしてそれは咎め立てるべきことなのだろうか。
続けてこそ本物だ、とか、いいものは残る、などという常套句がある。そのわりにはランボーとかデュシャンあたりだと、生の途上で制作を放棄したことがかえって称讃される。あるつくりてをやたらともちあげていた人物が、そのつくりてがしぼんでしまうと、彼は続かなかった、結局それだけのものだったのだ、などとうそぶいたりする。じゃああのとき誉めていたのはなんだったんだ。続けていることとその内実への評価とは、まったく別のはずである。制作物をまっとうに評価できる能力に欠けているために、「あいつはこつこつ続けているから立派だ」などと、人物に対する精神主義的評価軸で判断してしまうわけだ。制作物なんぞ見ていないのである。続けることをもってその所産に価値があると見なす評価は、なんども述べてきた、彼らが思い描くところの理想化された芸術家像を個別の制作者にあてがっているにすぎない。それは芸術至上主義的態度そのものである。
別に途中でやめたっていいじゃないか、などといいたいのではない。むしろ推奨されるべきことである。やめるというのは、みずからを、あるいはそのジャンルを、わかった、理解した、これ以上のものはそこにないと見極めた、ということであり、だからこそ次の段階へ移行していくということである。それは課程を修了したということである。つまり、「卒業」だ。現代美術は卒業だ、などといわれる、まさにあれである。
見るほうはもうやめた。こうやって書いているのも、書かないですむものならそうしたい。

終わったあとはどうなるのか

やめるということは、悟るということであり、つまり執着を脱却するということなのである。
知り合いの画家が天下の東京芸大に入ったとき、代々マタギの家系に育った同級生がいたという。冬場雪に閉ざされた家の中で、親は猟に出かけており、一人壁にそこらの獲物の動物を描いて過ごすラスコーの壁画ばりの環境で育ち、芸大に合格するまでに絵が上達したらしい。彼は入学後も、真冬に塩だけをもって山ごもりするなどといった、われわれには到底及ばない生存能力をそなえる野生児で、知り合いの画家はこの人物がどうなるのか注目していたという。だがその野生児は、せっかく芸大に入学したにもかかわらず、現今の美術状況を知るにつれ呆れはて、「下らない」と言い残して退学してしまい、その後イヌイット族、いわゆるエスキモーの娘と結婚してアラスカ辺りで暮らしているという。
その人物が、今も絵を描いているのかどうか知りたいものだ。もうさっぱり足抜けしているだろうか。いやいや、何の執着にもとらわれない境地で、虚心に描き続けているのだろうか。仮に描いていたとしても、それは「美術」やら「絵画」とはまったく別のものである。「プリミティヴ・アート」とかいったパッケージをまとわせて現代美術の文脈に引きずりだすことはできるかもしれないが、そんな制度に巻き込まれた時点で、まったく変質してしまうし、さらにたちの悪いことには、芸術至上主義的幻想を満足させるだけの安っぽいロマンティシズムに落とし込まれるだけとなる。「溶接の天才」もとい「夭折の天才」とかいうのとまったく一緒で、終わりかた次第でもてはやされポイントとなるのである。
つくりこまれた場面設定で、たいへんユニークな写真をなすひとがいた。珍しくおもしろい人が出たと思ったが、あとが続かなかった。見るからにネタ切れのをしばらく発表し、いつしか消えていった。聞いた話では、出家して寺にこもったとかで音信不通という。それがほんとかどうかわからないし、やめる口実なのかもしれないけれど、いずれにせよさぞやの葛藤と煩悶があったろうとしのばれる。あの人は解脱しただろうか。

なぜこんなにも消える人々に拘泥するのか

以上縷々述べてきたが、こうまでこの問題に執着する理由はといえば、今現在もてはやされているにもかかわらず、いいとはどうにも思えないあれこれに対するやっかみから、あんなのはそのうち消えるって、などと陰口叩いては溜飲を下げたくてやっている、というのは否定できない。だが、最大の動機はそこにはない。いうまでもなく、自分自身がいつまで続けられるのか、という漠たる不安に突き動かされている。上記のギミック型というのは、他でもない自分の写真のことである。似た路線にある他人が次々と脱落していくのを、アルジャーノンに自分の行く末を認めるような諦観をもって眺めているわけだ。でも、これ以上のものはできない、と何度も思いながら、あっさりとその先を実現できてきた。いつ涸れるか、まったく見当もつかない。自分については誰よりも知っているが、いちばんわからない。「わかる」ことで「終わる」のだとすれば、まったくわかっていない以上終わらせようがない。わかるまで続けるしかない。続けないのがもっとも賢明な選択だ、これだけはよくわかっている。