長時間露光では写真に時間が蓄積する、あるいは堆積する、というような言いまわしもあったかもしれない。惜しい。近いようだが見事にはずしている。正しくはこのように述べるべきである。すなわち、写真では光が蓄積される。その意味はというと次のようである。フィルムにあたった光が写真乳剤上に潜像核などの状態で蓄積される。撮像素子であれば、そこに照射した光が電荷として蓄積される。蓄積される光量は受光体に入射する照度の時間積分値として示される。適切に露光されていれば1分でも1/1000秒でも光量は同一である。それが相反則である。露光時間の長短にかかわらず蓄積される光量は等しいのであり、長時間露光だからといって特別な事態が発生するわけではない。
最近の写真撮影感材はきわめて優秀で、長時間露光特性にもすぐれている。富士フイルムRDPIII(Provia100f)なら1/4000秒から128秒まで露光量補正不要、つまり相反則がなりたつ。驚くべきレンジの広さである。常用しているネガフィルムのPro160NCは1/4000から4秒まで。この点では最新のポジフィルムにまったくかなわない。ただポジフィルムで長時間露光特性の向上が要求されるのは主として色シフトに対するフィルター補正の煩雑さを減らすためであり、ネガならプリント段階での補正がきくのでさほどシビアではないともいえる。
相反則は、写真の基本である明るさと時間の関係の恒常性を保証しており、一定の条件の下では一定の結果が得られるという、写真の合理性の根幹にあるともいうべき理念である。写真とはまずもって科学であり、明瞭で秩序だったものの考え方に支えられている。写真をなすにあたりそのような態度に終始縛られなければならない道理はどこにもないが、そうした精神に裏打ちされた写真を語ることばがたまにはあってもいいだろう。