新しいパソコンを買わなきゃならんのだが、検討しようにもやる気が起こらない。どうしてコンピュータってこんなにつまらないんだ。毎月パソコン雑誌を読むのが楽しみだった時期もかつてはあったものだが、もうどうでもよい。完全に枯れたジャンル。成熟産業で魅力も何もない。魅力がないのはそこらで一般に売られているカメラも同じなんだが。
それはきっと、新しい機械を買ったからといって、今までできなかったことができるようになったり、新しい世界が開けるなどとは期待できないからだろう。それまで使っていた機種と基本的には同じ。単に早くなって新しいソフトが使えて便利さが増すというだけ。最近のカメラも同様。その程度じゃわくわくなんてできない。「新しいこと」の可能性をできあいの機械が供給する機能に頼っているというのではない。「新しいこと」は勝手に開発するけれども、それを可能にする余地が手持ちの機械にはないのに別の機械で与えられるのであれば迷わず購入する。でも新旧でできることに大差がなければとりたてて買い替えたいとは思わない。
そうはいっても買わなきゃならない。今のG4機ではIn*de*si*gn*C*S3が実用的に動かないからだ。でも調べないで買ったら後悔するに決まっているので調べないわけにもいかない。Macで続けるかこの際Windowsに全面的に鞍替えするかの検討すらめんどくさい。いずれにせよ買ってからまた難儀するに決まっているのでそれもまた気が重い。だいたい買い物嫌いなんだよな。
そういえばかつて秋葉原でパソコン関係の買い出しをしていたとき、旧知の編集者にばったり会った。ネットの普及以前、今ではすっかり聞かなくなったMacromedia Directorによるゲームかなんかが収録されたCD-ROMがマルチメディアなどともてはやされ、その手の「インタラクティヴ」なCD-ROMが時代の最先端であるかのように喧伝されていたころだ。雑談のなか、そのような文脈をふまえて、CD-ROMってつまらないですね、などと言ったところ、その人物に「鉛筆がつまらないとか言うやつはいないでしょ、CD-ROMがつまらないとか言ってるやつはおかしい」とたしなめられた。いや別に虹色に光るコンパクトなディスクを眺めておもしろいとかくだらないとか言ってるわけじゃなくてですね、CD-ROMという形式で供給されている一連のジャンルの総称としてCD-ROMという語を使っているだけであって、そういう用法は世間で定着してるし、そのジャンルが全体としてつまらないと言ってるわけなんですけど、と反駁しようかと思ったのだが、相手は当時のいわゆるインタラクティヴな「コンテンツクリエーター」を擁護したくてそういう乱暴なすり替えを意図的に行っているわけで、こいつとやりあっても無駄だなと思って黙っていた。というよりも彼にはジャンルとメディウムの区別がついていなかったのかもしれない。いまではちょっとわかりづらいかもしれないが、当時CD-ROMをつまらないというのは、「最近雑誌がつまらない」というのと一緒で、その内容について評しているのは明白であった。雑誌がつまらないというとき、雑誌の紙質や綴じ方や表紙加工に関して述べていると解釈する局面はきわめて限定される。CD-ROMが雑誌と同様のジャンルの総称だったのであって、それがメディウムの道具としての鉛筆と論理的水準が混同されていたのである。この人物は今では評論家として高名のようだが、20年くらい前この人物にたぶん最初の商業誌への依頼署名原稿を書かせた時には、論旨展開が稚拙で何を言っているのかよくわからなかった。そういうこともあってこの人物のいうことはあまり信用していないし興味もない。そうはいいながら社会的認知度は彼に到底及ばない。ああいうたぐいの人物が押しの強さとコネと要領のよさとでのしていくものなのだろう。
で、それはジャンルとメディウムは別で、メディウムの名称をそれが収めるジャンルの呼称として便宜的に使うこともあるけれど、区別したほうがいいですよ、という話なのだが、でも、そういう趣旨を離れるなら、「鉛筆がつまらないというやつ」は間違いなくいるはずだ。文房具愛好家は世の中にたくさんおいでになるわけで、鉛筆をコレクションしてる人なんてのがいてもちっとも不思議じゃない。何しろ世の中ありとあらゆる嗜好が出つくしていて、すべてカテゴライズされ流派を形成している。そういう長年の鉛筆愛好家が、「このごろ鉛筆はおもしろくないね。品質は落ちてるし、メーカーも落ち目で、もう鉛筆も終わったね」なーんて言ってる風景はたやすく想像できる。そしてまた、かつてテレホンカードやオレンジカードを蒐集する人がいたようにCD-ROMを蒐集する人がいたとしてもおかしくない。でもって「このごろのCD-ROMはデザインがなってない」とかなんとか言ってるかもしれない。実際、ホログラム蒐集家は存在するので、ホログラムを使用したCD-ROMを蒐集している人だっているはずだ。そこで突然冒頭に戻って、パソコンがつまらないというのは、この場合、パソコンでできるネットやら業務やらのあれやこれやを指しているのではなくて、ただただメディウムであるところのパソコンが興味を持って追いかけるほどのものではないと言っているわけだ。そりゃパソコンも性能は上がっている。鉛筆では、品質の上下はあってもスペックの向上は見込めないかもしれない。でも、たとえば完成されきったかに思えるような自転車にも性能向上の余地がある。シマノ製のギアまわりのコンポーネントは年々改良され高性能になっている。一時期はそれがおもしろかった。パソコンの日々の進化に興奮させられたように。35mmカメラの新製品がかつてアツかったように。でもいまではどうでもいい。パソコンで見られるネット上のさまざまな情報はたいへん興味深いけれど、それを可能にするパソコンそのものは昔と違っておもしろくも何ともない。というわけで、やっぱり媒介するものと媒介されるものは違うというお話。