やっぱり光だ。あたりまえのことだが。光を時間で補うことはできない。つまり、低照度だからと露光時間を延長したからといっていい結果は得られない。光を充分に与えなければ、光の乏しさがどうしても露見してしまう。そんなのはしばらく写真をやっていれば誰にでもわかる常識である。だが、それをあらためて痛感している。
われわれにとって最も重要なのは一般に時間である。時給なり年収といった労働の価値の尺度は、報酬の時間換算である。一方、懲罰の度合も時間で計られる。誰にとっても共通の、基軸通貨どころではない基軸的尺度が時間なのである。
何事をするにも時間が必要だ。時間は他のものではかえられない。過ぎ去った時間はとりもどせない。
ところが写真においては、それほどだいじな時間をさしおいて、光こそがたいせつなのである。写真撮影のパラメータとしては、光と時間とは相反則がなりたつ等価な関係であるはずなのだけれど、それは限られた条件下の話であって、条件が厳しくなると、光は時間でおきかえがきかない。光がないことにはどうにもならない。日頃光に恵まれていると、光のありがたさを忘れてしまう。
最後は光だ。光に尽きる。