普通の写真

昨夜Ricohのコンパクトデジタルカメラcx2を借り受ける。親にあげた同じRicohのG3より薄くこじんまりしているが、プラ製のG3と違い金属でずっしり感じる。数世代あとの製品。
貸してくれたのとは別の人物から、普通の写真はやらないのか、あなたの普通の写真を見たい、きっとおもしろい、と言われる。普通の写真とは何かときくと、そこら辺をぶらぶら歩いて興味のあるものを撮影していくというものだという。それが「普通」なのだろうか。万人がやっていることだろうか。
「普通の写真」と言われる場合の「普通」とはどういう意味なのだろう。
特に意識的に写真をやっているというわけでもない市井のひとびとでも、通りに猫やら奇妙な看板やら珍しい人物やらを発見して、やおらカメラつき携帯電話やらをとりだして記録する、ということをときおりは行うだろう。だが、そうしたひとびとにとってそれは日常的な行為なのだろうか。カメラを使うことが、食事したりトイレに行ったりするのと同等に習慣化していたり、何かを発見したら即座に撮影できるよう準備しているようなひとはどれほどいるのだろうか。
実用目的の写真はあろう。時刻表をメモするかわりにデジカメで撮影したりとか。ネットオークションでものを売るために掲載する画像ならさんざん撮影している。でも、そうした、なんらかの目的のために使われる写真は「普通の写真」ではない、とその人物は言う。
写真自体を目的とした写真を撮影するということは「普通」たりうるのだろうか。
常に何かないかと探して、写真を撮る目で歩いているというのは、世間一般の目からすれば「普通」ではなかろう。むしろ、堂々たる「様子がおかしい」行動の典型例である。
ならば一般のひとにとっての「普通の写真」とはどんなものか。にわかに思い浮かぶのは、旅先での観光写真や、なんとか会やらなんちゃら式での記念撮影といったもの。珍しい機会だからあえて撮るわけだ。今なお写真とは、非日常的な局面でふるまいではないのだろうか。
ブログやらのネタを探していて撮影を頻繁に行うひとが増えたのも確かだが、彼らは概して珍妙だったり異様だったりするものとして掲載し、言及している。そうでなければネタにならない。
さらにまた、場所を気にせず気軽に写真を撮れるような風潮ではなくなってきており、日常の中で関心を惹く対象を率直に撮影するという行為が以前より制約されているのは間違いない。
多くのひとはしじゅう写真に関心を持ちながら生活しているわけではない。写真撮影の機材と機会が拡がっているのは否定できないが、多様に使えるデジタル機器の機能の一部として普及し、またひとびとに与えられる多様な関心の一部として人口に膾炙している、というだけのことではなかろうか。
少なくとも、関心のあるものを自覚的かつ連続的に撮影していくという営為が、世間一般において「普通」であるとはいえまい。そのように考えていくと、写真のおもしろさ自体を追求するような「普通の写真」なるものは、日常生活において普通のものではない、そう結論せざるをえない。
この結論は、誰にとっての「普通」であるのかを限定しなかったために陥った隘路なのだろうか。概念とはなんにでも適用できるものではない。「普通の写真」とは、世間全体を対象とするのではなく、鑑賞対象としての写真、つまり写真を制作し発表するという明確な意図をもってなされている写真のジャンルなり、それに類した限られた母集団の中では「普通」である、という意味なのだろうか。
 
という具合に、日常の中でおもしろいと感じた対象を撮影したものを「普通の写真」と見なすという態度に疑問を抱く。
しかし、ちょうどカメラを借りたことだし、ガタガタ能書き垂れてばかりでもなんなので、出先で素直に撮影してみることにする。5年前、G3を買ったときにもやったのだった。1回で無理だと悟ったが。
大井町駅東の飲食店街。山手線近隣では数少ない、昔ながらの個人営業の店舗が並ぶ一角。街歩きではおもしろいとされているだろう街並みだが、そうしたありがちな散歩写真がちらついてカメラを構える気もしない。店の中では客がいてレンズを向ける方向が限られる。暗い中での手ぶれ機構の効き目をみてみるかと撮影するが感興のかけらもなし。曇天のもと東へ。
撮影してみる。



 
 
つまらん。
あまりにもつまらん。
 
図式的すぎる。意味内容にのっかりきっていて、その絵解きで終わっている。
しかも「駐車場」だと思って撮っていたら違ってた。どっちでも大差ないが。とにかくどうにもさえない。やっぱ才能ないよ。
広角側は歪曲収差が多く、オートホワイトバランスだと色ころびが大きい。露出もあてにならない。暗くて手ぶれ補正が作動しているが、輪郭は甘い。しかしそんなことはどうだっていい。SDを差すのを忘れ内蔵メモリだけだったので10数枚撮影して終わり。
勝島の倉庫のギャラリーに寄って帰る。
時間がないのでつづきは後日。