ひきつづき切った貼ったの作業。たしか2年前にこしらえた結像部をばらしてボードなど使いまわし。あの時は実らなかったけれど、よみがえっておくれ。
まったく新たな仕掛けを開発していると、しくみそのものはありふれていても、それをなんらかの目的と結びつけるところに発見があれば新しいといっていいそうかこうすればよかったのか、なんでここに気がつかなかったんだ、ここをこうしなければならないという思いこみにはなんの理由もない、だったら変えちゃえばいい、といった気づきの連続である。どんどんみずからの先入見や拘泥が崩されていくのがおもしろい。思弁でそれをやる必要はない。むしろ思弁でやってるとますます考えかたが硬直していくような気がする。思弁なんぞよりずっと前から工作していたのだ。着想し、具現化し、現実的障害を手を動かしてひとつずつ解決していく。自分がコンセプチュアルの人間でないというのは、まずコンセプトやらが用意してあるのではなくて、こうした現実のやりとりを通じて次第にかたちづくっていくという営為がだいじだと思うからだ。
で、試作ができた。外は曇、しかも夕暮れ。テスト撮影は持ち越し。
どんなふうに写るんだろう。しばらくぶりでワクワクする。これだ。このワクワクだ。これがなくなったらやってる意味がない。このワクワクのためにやっているのだ。