写真について

画廊が学校だった

このところ毎日新宿に行っているが、画廊には一度も行っていない。先月25日以降新宿は8回目だが展示はまったくご無沙汰。おそらく世界一の写真専門画廊密集地に来ていて、堀内カラーの近辺にも5、6件あるが見向きもしなかった。はじめは、20年近い習慣のせい…

テストの結果を見ながら、いやろくすっぽ見もせずに対策。3つめとなると要領もわかってきて的確につくれるようになる。上達するというのは、単純にうれしいことだ。弱ってる時は手先を動かすに限る。あてのない写真撮影と違って、切った貼ったさえやっていれ…

「プロジェクト」も「コンセプト」もクソ喰らいやがれ

図面引き。でも、結局組んでみないとどうなるかわからないし、それだったらフリーハンドでざくざくこしらえていったほうがいいような気もするのだが、2器目以降を量産していく可能性を考えると、再現のための土台だけでもあったほうがいい。 「プロジェクト…

調理しながら考えた

夕食はほとんど自分でつくるのだが、調理の時間の大半はすりおろしている。しょうが、にんにく、大根、長芋、大和芋、自然薯、時にはわさびとかりんごとかチーズとか。もっともよく使う調理器具はおろし金だと思う。切ったり剥いたりという基本的な作業は行…

巻層雲がちだが晴れには違いない。Hus*ky改とフォトレック30を初稼働。乗車して四谷を過ぎたあたりでGitzo自由雲台に止めネジがついていないことに気づく。車内を見回すが落ちていない。ネジに直径5cmくらいのノブがねじこまれたほんの小さなパーツなのだが…

しばらく前に失明の不安を述べたが、眼の闇などさしたる重大事ではない。精神の闇を前にしては。 ラインが滔々と流れるあのバーゼル、そのバーゼル大学で教授職にあったニーチェは、病のために職務に支障をきたし、職を辞して在野の著作家となったのだった。…

とはいうものの

不易流行ってのもあるが。

不易のひと

写真家南條敏之さん(id:nanjotoshiyuki)との会話。機材は増やしたくないという。機材を増やすと、その機材で何ができるか、というふうに考えるようになるから駄目だと。でもこっちはそれをこそ金科玉条に長らくやってきた。よく言われることに、写真にいき…

1年半ほったらかしだった次世代器を昨日引っぱりだして再開する。仮組とテストまで行ったところで、賃労働で時間がとれず中断し、以降ずっと現行器に時間を投入していたのだった。それに、ひとに言われたことを気に病んだせいもあろう。この写真を見せたわけ…

見なければ語れない、とは限らないが

かつて某文芸誌に「読まずに語る文芸時評」なるものが、その後政治家に転身した小説家によって連載されていた。およそ読む気がしなかった。 ある「キュレーター」は、いちいち見ているようなのは素人だ、われわれプロは見ないでコンセプトだけで判断する、な…

一昨日からあれこれやっていた3tをタムロンリアキャップにひっつける。部材の固定は黒パーマセルテープでぺたぺた貼っつけただけ。こんなのでも日に透かすと遮光性は万全。この調子で適当にやってても写真は写るといういい加減さに染まり切っちゃうと、世間…

技術の外在化

またまた補足。デジタル工程についてまた否定的なことを述べたけれど、AdobePhotoshopの機能や操作や挙動がわりあい合理的にできているのをうっかり忘れていた。合理的に設計されていて、なおかつ標準化された道具なのだから、これは写真技術を十全に継承し…

職人と技術

なおも8日付日誌の補足。10数年前から、技術について述べると必ず、職人になりたいんですかとか職人崇拝だなどと言われてきた。まったく違う。しばらく前まで職人をむやみに持ち上げる風潮があったせいもあろうか。 職人といわれるひとびとにもいろいろいる…

さらに補足

写真における合理性を法治国家における法になぞらえたけれども、法治国家の構成者すべてがつねに厳格に法を遵守しているとは限らないように、写真の道具を使うにあたって必ずしも合理的に行動しなければならないわけではない。ただ、そうしたルールに従わな…

根拠としての技術

昨日の日誌で「技術、さらにはメディウムが、……われわれが写真をなす根拠であり出発点である」と述べたが、それよりも写真をやろうというわれわれの意欲なり意志が最初にあるのではないかと思われるかもしれない。やりたいと思わなければ何ごともはじまらな…

写真における様式

鑑賞対象としての写真と商業写真との違いとは、前者はひとつの様式の提示であるのに対し、後者は多くの様式の併置だという点にある。鑑賞対象としての写真では、誰しも、複数の制作物を通じて統一的に認められるような、そのひと固有の作風なり主題といった…

ようやくプリント。去年の貯蔵使用液をさらに使い回す。500mlPETに入れてある薬品をバットに注いてみるが、発色現像液と漂白定着液の区別が見た目ではつかない。どちらも褐色に変質している。現像してみたらどっちも漂白定着液だった様子。めんどくさいので…

そういえば

写真言語などという、なんのことやらさっぱりわからない言いぐさがあったな。さすがにこの頃あんまり聞かないけれど。カメラ語ならわかる。メディウムとしての写真について述べる際に用いられる語彙と語法と文脈。カメラ用語を拡張したようなもの。ここで[機…

標準化された写真

言語とはもっとも標準化された道具である。私的言語や喃語など非公共的な言語は別として、公共的な言語は誰にでも使えるよう標準化されている。でなければ言語として成立しない。その中でももっとも標準化が徹底しているのが数学言語・論理学言語・プログラ…

文章のほうが写真よりおもしろいと言うひと

今までやってきた写真よりこの日誌のほうがおもしろいと言ってくるひとがいる。 対する答えはこうだ。文章は誰だってわかりますから。 文章は読めばわかる。この日誌がわかりやすいかどうかという話ではない。当然のことではあるが、ことばとは元来思考や感…

言うべきことはない、でも何かを言わなければならない

いろんなひとの話を聞きに大岡山へ。むろん自分の関心に引き寄せて聞くだけ。日頃は避けているのだが、批評関係の人名を並べてみるのもたまにはよかろう。 濱野智史と宇野常寛の発表を、浅田彰がどこも新しくないとばっさり斬り捨てる。自分が大学に入学した…

ガラパゴス化を徹底させねばならない

国際標準化されていない独自規格に閉じていることが、日本の通信業界なり各種製造業の成長障壁になっているとされている。国内需要の縮小が不可避である以上、国内市場という閉鎖系にこもっていてもジリ貧なのは目に見えている。 だが、今やっている写真では…

帰ったらもっと自由な写真がやりたいものだ。気ままにふらっと出かけていって撮れるような写真。制約のない写真。今やっているのは縛りが多すぎる。無雲であること、正面からの場合横の線の水平が狂っていないこと、フレーム一杯まで写し込み、余白を最小限…

消えていく人々

20年ばかり鑑賞対象の写真というジャンルを眺める間に、一発屋やいつしか消えていく人というのをずいぶん見てきた。ひところもてはやされて調子よかったがいつのまにかどこかに行ってしまった人。次第に衰えが見えてきていつしか廃人同様と化してしまう人。…

見つからない

という具合に、はじめてのデジタル一眼レフカメラが手元にあるのをそっちのけでSinarにかかりっきり。でも、こんなことをやっている暇があったら「お仕事」のためにαSweetの操作に習熟しなければならないのだ。明日にでもSinarを撮影してアップするか。でも…

借りたり買ったり見つけたり

撮影の依頼を受ける。もともと「仕事の写真」をやる気はなかったので営業活動もやっていなかったのだが、展示などしていると職業的写真撮影者の端くれと見なされるらしく、ときどき「仕事」の依頼があった。日頃写真撮影の必要のない編集者などがたまに撮影…

6日目

建築設計用CADで同様のことはできる、というかねてより予想通りの指摘あり。CADのみならず、フォトレタッチソフト上の画像加工なりフルCGでも遠近法的構造としては同じことがたやすく可能だろう。のみならず、周辺光量低下や特有のフォーカスの甘さ、描写傾…

失敗

針だけでは消せず、周囲だけが白くなってかえって目立つようになってしまった。やはり鉛筆併用で完全に白く抜くしかないのだが、それをプリント上でさらに埋め返している時間がない。二番手のネガにあっさりさしかえ。 写真は光を扱う作業であるだけに、その…

昨日の続き。 10年くらい前に、デジタル写真には物質性がないなどと一部で声高に主張されていたが、あの話はその後どうなったのだろうか。 デジタルだろうとなんだろうと、われわれがこの目を通して見る必要があるものならば、物体の支えなくして成り立ちえ…

予報は午前中晴れ。5時頃、もやっているがはっきりした雲はない。これは行かずばなるまいて。5時半に出発するも欲を出して変なことをやろうと遺品の特大の旅行用キャリーカートを転がしていったらやたら時間がかかってしまう。ここは不本意でもタクシーを使…