6日目

建築設計用CADで同様のことはできる、というかねてより予想通りの指摘あり。CADのみならず、フォトレタッチソフト上の画像加工なりフルCGでも遠近法的構造としては同じことがたやすく可能だろう。のみならず、周辺光量低下や特有のフォーカスの甘さ、描写傾向、発色といったことも、この写真を解析して視覚的効果をトレースするのは、ぱっと見にわからない程度に似せるくらいならさして難しいことではない。
でも、それは所詮モドキでしかない。これらの写真は現実的対象の再現として得られている。まったく出自が異なる。
しかし、それよりも留意されるべきなのは、これらが単に現実的対象の再現であるばかりでなく、光学的な現象の記述だということである。ピンホールカメラというもっとも単純な光学的しかけによってもたらされ、遠近法が極端に崩された現実的対象の結像は、きわめて特殊な条件が引き起こした光の出来事そのものである。しかも、それにとどまらず、器の中では内面反射による虚像やにじみといった光の事件がさまざまに生起する。ここで、対象の像と箱内部に由来する成分とを区別してもほとんど意味がない。あれこれの実在の物体からの光と、対象の直接的再現ではない光の散乱とは、同じこの器の中での出来事としてまったく等価なのである。さらには、プリントの局面にあっても、引き伸ばし機内部の乱反射、4x5フィルムの黒フチやつるし孔やノッチまわりの刻印による、撮影対象の忠実な再現からはおよそほど遠い、写真というメディウム固有の光のふるまいが記述される。さらにはクリップ痕やその周囲の液流の乱れによる現像ムラといった化学的工程がもたらす突発事もある。
本来、こうした不確定要素は写真の中にいくらでもあった。写真が現実的対象を忠実に再現するための道具とみなされ、忠実な再現に抵触する要素はすべて排除されるべきであるという理念のもとに写真というメディウムが改良されていくにともない、駆逐されていったアクシデントである。だが、ふとしたはずみで今でも写真にそういったノイズが現れることがある。レンズやカメラの内面反射によるフレアやゴーストがそうだ。それらは失敗なり機材の不備として忌み嫌われるのが通例だが、それらこそが写真というメディウムの露呈する局面というべきなのである。いかに複雑な構成のレンズと高度な機構のデジタルカメラで撮影された画像であっても、それが光学系によって結像された光の現象の結果であることになんら変わりはない。巧妙に制御され、入念に除去されていった、再現の高忠実度を阻むそうした画像成分は、ときおり予期せず現れては、写真とは光の出来事の記述であったのだという、われわれが忘れがちな事実を思い起こさせてくれる。
これらの写真は、特異な再現様式によって光の出来事をあたうかぎり顕在化させようとしており、思いもよらぬ光のふるまいを多様に記述すべくなしつづけられている。