5日目

写真がぱらぱらはがれてくる。当初、3Mのスプレーのり33を裏面全面に噴霧してべったりと貼りつけるつもりだった。
スプレーのりがいいのは、まずドライマウント加工や裏打ちに準ずるかそれをしのぐ平坦度を得られること。空気が入らないように貼れば、壁とほぼ同等に平らにできる。ドライマウントや裏打ちでもマットや裏打ち材のしなりや反りがありうるので、場合によってはそれ以上にまっ平らになる。また、印画紙の面積全面で荷重を支えるのではがれにくいことが期待できる。33はシリーズ中もっとも接着力の弱い製品だが、版下作業でかつてさんざん使った経験上、自然剥離は2週間程度ではまず起こらないとの手応えがある。両面テープで部分的に留める場合、テープの面積のみで重さを負担するため相応の接着力の強さが求められ、剥がすときに壁が剥離したり変質したりといった事態が懸念させるので、弱い接着力で全面を支えたほうが無難だろう。それにもし剥離後に壁に残っても、スプレーのりなら剥離剤があるので除去できる。ただ、接着剤で直貼りしてしまうと、展示終了後の印画紙は捨てることとなる。どうしても保存したいなら裏に紙などを貼るしかない。これについては、すでに何枚も焼いてあるし、焼き直しもわりあい楽にできる。1枚につき直接原価は300円程度であり、額装のためのマット代やフォトアクリルの費用負担を考えればはるかに安く上がる。これまで展示した写真は、大なり小なり反っていたが、一度ぴしっと平坦な展示をしてみたい。そのために1枚ずつ殉じてもらうこととしよう。
という予定だったのだが、ギャラリー担当者のすすめでひっつき虫とかいうガム状の粘着物で要所を留めることにした。前の展示でこれを使って問題なかったとのことで、剥離剤があるとはいえ、スプレーのりを使って壁に損傷を与えるのが心配でもあったので、この壁面上での実績のあるそちらでよしとする。平坦度は当然低く、エッジは浮いてしまうし表面は波打つ。仕上げや展示効果は劣るのだが、気にならない。ことにする。粘着力はほぼ充分だと思うのだが、パテ状のものを伸ばしてくっつけるので、印画紙面がやや盛り上がってしまい、またはみだしやすいので隅までは使えない。
そこで、ギャラリー担当者が3Mの「はがせる両面 透明(S)」につけかえてくれた。これならシート状で凹凸がなく、プリントの隅まで留められる。ところが、こいつがどうにも根性レスで、隅がどんどんめくれてしまう。はては一晩明けるとプリントが落っこちているありさま。印画紙側がいつもはがれており、レジンコートに対する粘着が弱いらしい。やむなくはがれたところからもとのガムにつけかえていく。そうこうするうちどんどんプリントが波打っていく。
会場でかかっているジョセフィン・ベイカーが、会場を出てもぐるぐる回転する。20世紀前半のシャンソンは一時期聴いたがそれっきり。もっとも、音楽全般について望んで聴く習慣を失って久しい。聴くための音楽をみずから選択するということに違和感がある。偶然の機会に、恩寵のように与えられてくるのが音楽への接しかたとしてしっくりくるとずっと思っている。ふと入った場所でたまたま何かの曲が流れてくるとか、ずっと聴きたかった曲がラジオで偶然にかかる、といった音楽との邂逅が自分にとっては正しい。音楽を「所有」する、それはいつでも意のままに聴けるよう支配下におくという意味だが、そうすると、気に入れば何度も何度も聴いてしまい、結局飽きたり底が見えたりしてしまう。そしてまた、あとでくりかえし聴けるからと、他ならぬその時に聴くことがおろそかになってしまう。所有は必要ない。コレクションもいらない。せいぜい、ラジオ局なり店舗なりどこかの奥にアーカイヴされ、ときおりわれわれの意図にはかかわりなく呼び出されてくる、それで充分。それすらも不要かもしれない。そのようななりゆきまかせの接しかたでは聴く機会にまずめぐりあえない種類の音楽も存在する。ごく一部を除くオルガン音楽などはその典型。それなら、しかるべき場所に出向いていって聴けばよいのだ。そのことによってこそ、そうした音楽の有難さ、有ることの稀さが際立つ。
展示会場で音があったのは、95年のグループ展、最初の写真展示以来。あの時はポピュラーなジャズの演目を流す有線のチャンネルだった。そういえば、2001年のグループ展でも、手前の飲食スペースに流される現代音楽などの音が展示空間にも響いていた。いずれにせよ、あらずもがな。この写真の展示に対して、特定の情感を演出したり固有の文脈を醸してしまう音楽はなくていい。
退屈しのぎに、関心もなさげに乱暴にファイルをめくっていく人々が多い。見るからにがさつそうな若年層。保護区域外に出るとは、そうしたデリカシーの欠如にさらされるということなのだろう。それを承知で、会場に置くためのファイルを別に用意するくらいの逞しさが必要なのだろう。