言うべきことはない、でも何かを言わなければならない

いろんなひとの話を聞きに大岡山へ。むろん自分の関心に引き寄せて聞くだけ。日頃は避けているのだが、批評関係の人名を並べてみるのもたまにはよかろう。
濱野智史宇野常寛の発表を、浅田彰がどこも新しくないとばっさり斬り捨てる。自分が大学に入学した75年と変わってない。マクルーハンは「メディアこそがメッセージだ」と述べていた。つまり、伝達される内容はどうでもいい。当時からメディアのほうが問題だった。今もブログにコメントがつくことが重要なのであって、その中身は二の次。コンテンツよりそれを支えるアーキテクチャが重要になってきたというが当時と同じ。匿名掲示板や動画共有サイトのようなトライブに分散するようになったというのも、ムラ社会への蛸壺化として以前からあった話であって新しさはない。確かに25年前に浅田彰が指摘していたことだ。そしてムラ社会の中で内輪受けのネタ化した、ハイ・コンテクスチュアルなやりとりに終始することとなる。まさにそう。やりとりの中身も文脈依存度が高ければ、やりとりする相手もコネとリンクの結びつきばかり。
さらに議論の終盤、新しいものはない、相対的におもしろいものはあっても、全部駄目、と強く言い放つ。
なつかしいなあ。新しいものはもはやどこにもない。彼も、ことさらに語るべきことなどないと自覚した上でずっと同じ発言を繰り返してきたのだろう。そしてこちらもずっとこの手の論調にさらされてこうなってしまった。そういうのに触れなくても、どのみち同じことだったろうか。
1980年代の批評は蓮實重彦柄谷行人に尽きる、そしていずれも、語るべきことはもはやない、しかし何かを語らなければならない、というところから出発している、そのように丹生谷貴志が1990年頃に書いていた。当時読んだきりなので正確さに欠けるかもしれない。たとえ書くべきことが書き尽くされても、ひとはどうにかして何かを書きつづける。しかし、新たに語るべきことがなければ、語り口を変える以外にない。そうすれば当然のなりゆきとして、内容はどうでもいい、それを盛る器だけが問題だ、という話になる。批評対象の形式を扱い、また批評の様式としても文体や方法が前景化する。「メディアこそがメッセージ」となるわけだ。
ならばなぜ「何かを語らなければならない」のか。

もはや新たに撮影できるものは残されていない、この諦念がわれわれの出発点である。それでもなお写真をやらなければならない。
鑑賞対象としての写真を、他の誰とも違うしかたで行おうとする者は、いずれこの「なすべきことはなし尽くされた、にもかかわらず、なさねばならない」という事態に直面するだろう。撮影すべき対象がある間はいい。だが、いずれ撮影し尽くされてしまう。他人によって、あるいはみずからによって。そしてその壁が立ちはだかる。
言うべきことはもうない。20年前にとっくに確認されたことだ。写すべきものもない。日々新しい現実は生起しているけれど、それを語ったり撮影したからといって、今までにできあがった路線上で反復しているだけである。
ここで「それでもなお写真をやらなければならない」というほうに注目してみる。撮影すべきものがないのに写真をやろうとする。なぜ?
いや、どこも不思議な話ではない。写すべきものがないのに何かを撮りたいというひとはそこら中にあふれかえっている。写真をやりたい、でも撮影したいものが特にない。とりあえずカメラを買ってみた、でも何を写したらいいのかわからない。カメラメーカーのサポート窓口に、おたくのカメラを買ったけれど自分は何を撮ればいいのでしょう、と問い合わせてくる客がいるそうだ。そこらでカメラを抱えてうろうろしているひとは基本的にみんなそれだ。まず手段を与えられる。手段しかない。目的を授けてはもらえない。みなそうしたなかで、手段先行で写真をやっている。手段のためには目的を選ばず、などとあえて宣する必要もないほどに、ずっと前からあたりまえのことだったわけだ。
多くの場合、ひとは言いたいことがあるからものを言うのではない。とにかくものを言いたくなって、言うべき何かがないことには何も言えないから、その何かの必要に迫られてそこらへんのものごとを引っぱり出す。言うべき何かよりもとにかく何かを言いたいというほうが往々にして先行しがちなものである。それはいわゆる「ポストモダン」とは関係がない。写真によって地上のありとあらゆるものが撮影し尽くされ、大気圏外や深海にまで拡げていくずっと以前、写真の黎明期の頃から、ひとは何かが写したいから、ではなくカメラを使ってみたくて写真をはじめたに違いない。何を撮るかはあとから考える。
そもそもなんらかの媒介手段をはじめて使うとき、ひとは何か伝達したいことがあって使うものだろうか。最初にラジカセなりICレコーダなりの録音機を前にして録音をはじめたとき、何か言うべきことがあったろうか。たいていは適当なテストのひとことふたことを吹き込むだけだろう。それはワープロだって万年筆だって同様だ。カメラにしても、入手してすぐは、カメラを使えるというだけで充分にうれしくて、撮る対象なんてどうでもよかったのではないか。言うに値することがあるひとなんてそうそういない。だから、何かものが書きたいけれどネタがないひとのために、ブログやSNSなどの日記サービスでは時事的話題を併置して思いついたことを書けるように親切丁寧にしつらえられている。道具や手段がまずあって、しかるのちに、それを行使するために伝えるべき何かが用意される。かねてより指摘されてきたことであり、この主張自体新味はない。メディアに、メディウムに導かれるから、撮るべきものがなくてもなお写真をやらなければならないのである。
ところが、何度も述べているように、写真というものは一般に、対象がないことには写しようがない。「何か」がどうしても必要となる。メディウムなのだから当然の話だ。かつては媒介手段さえ用意すれば媒介すべき内容はいくらでもそのへんにごろごろしていた。しかし今や何も残されていない。そうなれば手段のほうで延命を図るほかない。しかしそれもそう長くは続かない。

東浩紀は問う。何も新しいものがなくても、それでもわれわれはあと何十年か生き続けなければならない。だったらどうすればいいのか。
宮台真司が前向性記憶障害の映画を引き合いに出す。昔のことは憶えているが、つい今しがたのことを忘れてしまう男の話。われわれの社会はこれと同じなのではないかという。古典はある。しかし最近のものは使い捨てられて残らない。いや、残ってはいる。記憶障害の男は、たくさんのメモで記憶を記録としてとどめようとはするのだが、文脈を思い出せないためにメモの意味がわからない。そのように、膨大なログが残されていても、それぞれがハイ・コンテクスチュアル過ぎてなんのことやら解読できない。宮台も浅田も、今の世の中はこうした記憶障害から抜け出せないままで終わるのではないか、という。
出口はないのか。前向性健忘的社会の中で埋もれ、忘れられていくだけなのか。昔から唱えている全健忘で対抗する手はあるが、それは最後の手段。