H-3.4F-2.4。不作のひとこと。やはり南側のほうがましだったがさしてかわらん。それにしてもこの冬は惨憺たるありさま。2月にしてまだ2度目とは。10数年来やってきたことが、環境、感材、世間的文脈、そして当人の意欲、あらゆる条件において終焉していくことを確かめに行っているようなもの。銀杏がまだ残っているので拾っていたら1時間くらいでビニール袋一杯になってはみだす。この時期残っているということは、地元には拾う人がいないのだろう。昔は秋になるとみな喜んで拾ったものだというけれど。いまじゃむしろ臭うからと厄介者扱いか。都の木だというのに。
朝から特快晴。川崎から歩いて川崎*大師へ。途中、多摩川に流れ込む水路にかかる川崎河港水門。これは6x12でやっていた3年前の今頃、味の*素に行く途中で何度か見て気になっていた建造物。あれから3年も経ったのか。肩に載っているのは脳か、はたまた羊かと思っていたら、当時特産品だったブドウの装飾だとのこと。このあたりでそんなものを生産していた時代もあったのか。水門は正面からはまったく引きがとれない。斜めからではまったくさまにならない。水路をまたぐ配管の橋に乗っかれば可能性あるかもしれないが、現実にはまず許可が下りないだろうし、そこまでするほどでもない。
味の**グローバル*開発*センターとかいうガラスの建物に構える。ちょっと悪くないが見送り。昼前ならいいかも。この建物は3年前にはなかったと思う。昭和の遺物といった風情の外観といい、周囲に充満する化合物臭といい、食品工場というよりは化学工場というほうがよほどしっくりくるこの一帯には場違いな、妙にクリーンさを演出した施設。川崎*大師。普通表参道は寺社の正面につながるものだが、ここは駅からの参道が境内の横を通っていて、二回折れて最後は逆に駅へと戻るような格好で仲見世通りを過ぎてやっと山門に至るという格好。駅の配置の都合だろうか。でもその名も「大師線」だし、そもそも川崎*大師*駅が京急の発祥の地だというのだから、寺の配置と都合に合わせてもよさそうな気もするが。なるべく参道を長くして店舗数を稼げるようにとの計算か。おそらく京急開通前からこの街のつくりだったのではないか。仲見世は繁盛している。テキ屋のような仮設の屋台ではなく立派な店舗が並ぶ。特定の時期だけではなく年中参拝客が押しかけているということだ。飴が名物らしく、飴を切るまな板に包丁を打ちつけて景気づけにトントコ音を鳴らす店が並ぶ。浅草*寺よりも大規模かつ盛況なのではないか。それにしても2月なのに人出が多い、と思ったら節分のせいだった。しかも土曜。
本堂はでかいが例によってコンクリ。だいたいにおいて地図や駅の名所表示板に載っているような観光名所の寺社はそれなりに格式があって規模も大きい。由緒があって参拝客が多く集金力のある寺社であれば、何しろ宗教施設なのであるから、押し出しの威厳が相手を睥睨し平伏させるにはまずもって重要なわけであり、余剰資金の先行投資として、ありったけの金をつぎ込んでできる限り立派な建物をこしらえると考えられる。いろいろまわって思ったのは、地図にかろうじて記載されているような敷地の狭い寺社は建物としてもたいがい小振りであまり対象になるようなものではないということ。そういう場所をしらみつぶしにめぐっても収穫には乏しい。やはり名刹や有名な神社は立派なもので、そうした情報を頼りにまわったほうが効率がいい。神社は別表神社という神社庁による事実上の一元的な格付があるので、さらにその傾向が顕著である。しかしながら、少なくとも関東では、特に有名で資金力のある寺は、さらに威容を演出するために近年改築しており、でかいだけでまったくつまらないコンクリの本堂になっていることが多い。お寺さんに対して失礼な言いぐさではあるが、ぱっと見どうにも俗っぽさに流れていて、観光地化しているように見えるのだ。成田山新勝寺にしても佐野厄除け大師にしても、戦災で焼失したわけではなく、そういったなりゆきでコンクリ化しているのではないか。この調子では西新井*大師も期待できない。浅草*寺は木造だったような気もするが。だから狙うべきはそうした参拝客動員数を誇る初詣スポットの有名どころではなく、ほどほどに評価された寺、ということになる。
さて大本山*金剛*****平間*寺。ここも東向きなのでやるなら早朝だが、細部の造作に魅力がないのも増上寺成田山の現本堂と近い。山門も巨大。他には8角形の五重塔など。本堂前で年男の撮影会をやっている。カメラはと見たらToyoViewのGか、レースが銀の、ある程度古いタイプに袋蛇腹、アオリなし。三脚は色がGitzoっぽかったがステーがついている。インド風様式の寺院があるので行こうとしたら他にも大勢がそこへ移動。さっき撮影されていた年男たちが広場で壇上から豆まき大会。人がそれに群がる。銀杏より加工豆のほうがいいかね。
産業道路を越え塩浜の跨線橋に登ると工業地帯が眼前に広がる。これだ。これこそ70年代からずっとわれわれが思い描く「川崎」。千鳥町に渡り入れる範囲は一通り歩く。工場名は確認できないが化学プラントの蒸気を吹き上げる施設がなかなかよろしい。別のカメラを手にした人間も撮影していた模様。というより外から見える工場施設は限られているので関心の対象はどうしても似通ってくる。夕方では無理だが午前中ならありうるかもしれない。正面からだとすぐ頭上を走るパイプラインが邪魔ではある。
ぐるっと回ったのち、東扇島へ続く川崎港海底トンネルへ足を踏み入れる。まさしく未踏の地へ。わくわくである。海の下を歩くなどというのは、外房でほんのちょっとくらいはあったかもしれないが、こんな本格的なのははじめてだ。何しろ1km。橋を渡すには難しくなる距離だろう。つまり橋が架けられないほど離れた島に渡るのもはじめてだということであり、これははじめて本州を離れた経験ということになるのかもしれない。いま大地震が来たら助かるまい、と思いながらトンネルを急ぐ。出口が見えたときには、まあちょっとした解放感。この埋め立て地は広い。全部まわるのは断念して川崎*マリ*エンへ。川崎市*港湾*振興*会館。典型的ハコモノ行政の産物で無駄にでかい。しかもこんな立地。川崎市民でも知ってる人は少ないのではないか。東南東を向いているので早めの時間帯に再訪すること。しかし正面には車の出入り口の中央線があり、すぐ先には監視員のブース。監視員がいなければOKと思ったら定休日は年末年始の4日のみ。無駄に開いている。何とかするべし。
帰りも歩くのはさすがにきつい。遠いし三脚2本と4x52台はこたえる。足の裏のみならず手のひらにまでマメができつつある。暗い中景色も見えないのに歩くのもつらい。東扇島周回のバスに乗って島をぐるっと一週。海底トンネル入り口はちょっといいかも。熟睡しながら帰投。