うっすらと巻雲が流れる下に積雲もあちこち、でも勢いがない。夕方には消えてしまい巻雲だけになる。透明度はやや上がってきた。機材背負ってハンズで真鍮の残りと塩ビのカット。前に加工してもらった一個で直角が出てなかったのでやりなおしてもらうが、他のも曲尺にあてると微妙に狂っている。あんまり精度は出ないらしい。さして精度が必要な用途でもないが、ちょっとハンズを持ち上げすぎたかも。サイズや厚さなど加工範囲に制約があって万能ではない。昨日島忠で買った塩ビをカットしてもらおうとしたら、これは当店でお買いあげなんですよね、と怪訝な目つき。メーカーが違うと見破られたような風情だが、ともかく引きうけてくれる。カットのみで1,900円程度。なんだか散髪みたいだな。
待ち時間に「東京ミッドタウン」にでも行ってみようと信**町から外苑東通り。腐敗度と犯罪率と採用水準の低さで全国一を誇る警庁所属の巡*査がガンつけてくる。
赤坂の裏手にはまだ通っていなかった路地があり、傾いた陽光の中はじめて見るのは悪くない。東京中町。開業前に一度来て、開業後も遠目に眺めてはいたが、敷地内に入ったのははじめて。どうでもいい芝生とビルの密集した区画。ビルは狭い敷地に詰めこまれている。まったくつまらない。土地の使い方がセコセコした建築物は、いくら背伸びしてみてもみみっちく見える。芝生部分にもっとおっ建てるつもりが資金を調達できなかったのだろうか。目立つ一角に富士フイルムの催事場があり、富士フォトサロンもそこに移転してきているが、どうにも入る気が起こらない。暑さのせいもあるだろうけど。芸能人の写真展示会。品川のCanonをしのぐかったるさ。メーカー系ギャラリーはこの20年近くまわってきたが、こうなっちゃったらもういいだろうという気がする。
帰りに外苑東通りを戻り、バックパックを背負った背中が汗まみれなので一休みしようと赤**誤用*地脇の道路の手すりに腰を下ろしたら巡*査がたかってくる。しまった。ここは剣呑な土地なのだった。中央線の駅に出る道なのに通行人が一日中少ないのは、じろじろ見られるのが嫌で避けられているのだろう。春頃ずいぶん通ったのに忘れていた。通られたくなかったら歩道なんかつくらなきゃいいだろうに。しかし時すでに遅く、ガタガタ因縁つけられたので「撮影してるように見えますか」「機材もってたら撮影してることになるんですか」「目的地に行って戻ってきたら当然2回通ることになりますけど、遠回りしろとでもおっしゃるんです、か」「何度も来てますけど、来ちゃいけないんですか。ここは公道じゃないんです、か」「これまでお仲間には何百回とからまれてきましたけど」と嫌味で迎撃。暑い日に道端で休憩もさせてくれんのかよこの国は。せっかくちょっと一息つこうと思ったのに邪魔されて非常に不快。まず詫びのひとことはないんですかくらい言えなきゃ駄目だな。その後駅への帰途、無線で連絡を取り合う他の巡*査がみなこちらに背を向けていたのは煙たがられた成果か。信**町にはもう行かないことにする。なるべく。ろくなものありゃしない。そういえばこないだ歌手が落下死して現在では行政府の長が入院しているあの病院には何度か原稿取りに行ったが、その大先生も数年前になくなっていたらしい。まったく知らなかった。
しかしながら、写真関連機材をもっていたら撮影したことになるのか、との問いはただの開き直りではない。常日頃思っていることだ。実際今日も撮影どころか写真器を取り出しもしなかった。これまで機材一式を持ち歩いて出かけた日のうち、一コマでも露光した日は半分もないだろう。いけないことなんですか。撮影に出たら写真撮らなきゃ駄目なんですか。
どうやら、機材を背負ってる以上は撮影しているはずである、というのは世間一般の合意事項であるらしい。定食屋あたりにフル装備で入ると「いい写真撮れましたか」とか必ず訊かれる。ほっといてくれよ一枚も撮らなかったよ、と内心思いながら、まーぼとぼちです、とか答えるのは心底疲れる。いいじゃないかこっちはただ機材背負って歩いてるだけ。露光するかどうかは運次第。なんだけれども、こんな荷物持ってきてるのになんにも撮影しないなんて、この人なんか変なもの目当てなんじゃないの、とでも思われそうな気がして、まあ実際そうなんだろうけど、機材に相手の目がいくとそっちに話を持ってかれないようにごまかしたり。あと何を撮ってるのかって質問も困るね。バックグラウンドをある程度共有する人とか何回か会った人ならともかく、ふらっと入った定食屋のおばちゃんに説明する余裕は悪いけど持ちあわせていないので、鳥とか花とか適当に話合わせるわけだが、何やってんだろって気分になるよほんと。これじゃ世間受けしないのも当然か。
撮影枚数が少ないのは、あんまりおもしろくもないのにいちいち店開きするのは面倒というのもある。ラボの現像料が上がったらしいので正確な値段はよく知らないけど、カラーネガは通常なら1枚500円以上、ジャンクのフィルム使っても現像代だけで250円とかかかるわけで、単純にもったいないということもある。
ところが、今やってるのはテストなんだな。テストなんか内容に関係なくちょいちょいと片づけりゃいいだろう、とも思う。でも、4x5の現像済のネガはなかなか捨てられないもので、今まで捨てたネガはたぶんないと思うが、テストであってもなかなか捨てるには忍びない。ネガサイズが大きくなるほどフィルムは重くなる。そうすると、こんな下らんもの撮りおってからに能なし野郎、と目にするたびにずっと突きつけられることとなる。テストであっても。
考えてみると、これまでやってきたことはすべてテストなのだった。ずっと失敗だらけ。実用化して安定供給となった時点で先が見えてしまいつまらなくなる。量産体制の大先生ではないので、そうなったら次に移行するだけのことだ。だから、それぞれの手法で完成という事態は起こらない。すべてがテストなのであれば、テストだからデータだけ採取できれば充分、内容はどうでもいい、とはならない。初期のテストと後期のテストとで姿勢を変える理由はなくなる。つまりテストこそが本番なのである。テストであっても撮影する気のしないものは撮影しない。行動規範の根幹である経済観念と合理主義からすれば当然の帰結である。
新宿に戻って部材の引き取り。