朝から雲が多く油断していたら昼前にすっかり晴れ渡る。あわてて出発。土曜なので浅草は見送り月島。ついギンイチに寄ってしまう。店の前のジャンク棚にManfrotto#400ギア雲台のクイックリリースプレートのハイプロファイル型を2個発見。使うあては特にないけど、この型は持ってないしあわせて840円なので救出。1つはネジなしだが未使用、もう1つは回転防止ネジ3本のうち1本だけがない。いかにもカメラマン然とした人種の違うモンゴロイドとぶつかりそうになりながら、どこかさびれた店のさらにさびれた奥に行って暗室用品をあさっていたら、バライタ乾燥棚のようなものがある。モノクロのひとはみんな自作する、枠に網を張って何層にも重ねるやつ。ところがやたら小さい。4x5程度。キャビネも置けない。フィルム乾燥用か。素人の工作とは思えないいい仕上がり。一瞬買おうかと思ったが、4x5ネガの乾燥は吊すので充分で、網の上で乾かさなければならない理由はどこにもない。バライタ印画紙でなければ、あんな網で乾燥させる必要はまったくないのだ。そこでようやく思いいたった。ポストカード用だ。モノクロバライタ印画紙で年賀状を焼くひとのためのもの。そういう印画紙が消えてしまったら手放すしかないということか。でもモノクロバライタでハガキを焼きたかったら、定形ハガキサイズの印画紙で焼いて乾燥後のフラットニングに煩わされるより、一回り大きいキャビネなりにトンボつきで焼いてあとから切ったほうがよっぽど楽。バライタ印画紙の収縮とカーリングは周辺部で起こるので、周囲を切り落とせば自然乾燥でもかなり平坦になるのである。かつてはそれでやっていたが、今となっては。
朝潮大橋を渡って晴海へ。2005-12-10以来。Sinarf2を背負っていた頃。南に遠く雲が出てくる。また左回り。海神の名がつけられた再開発地区。住宅棟は少ないが、あれでそれまでの団地住民をすべて収容できたのだろうか。高層ビルが1棟あればつっこめるのか。商業地区は失敗している模様。土曜日だというのに閑散。安手の庭園やらの命名といい、どこぞの礼拝堂を模したつもりかもしれないがどうにも安手のイラスト臭が漂う天井画といい、全体にかなり恥ずかしい。高度成長期に団地が建っていた頃の残り火が、黎明橋公園や晴海埠頭公園といった古い公園に残っていて、朽ちかけた鉄コンの屋根なんかのほうにむしろ惹かれるのは人間が古いせいだろうか。戦後の東京の風景が今でも保たれているのは、小作農あがりの地権者や強欲のゼネコンにすみずみまで牛耳られている街中や新興住宅地ではなく、自治体が管理していてあちこちに隙がある、こうした古い埋立地くらいなのかもしれない。9歳まで住んでいた埼玉の霞ヶ丘団地にも、往時の気配はほとんどない。
豊海は鮮魚倉庫があるせいかカモメが飛び交っていたが、こちらは枯れ木に群れるスズメのみ。東京国際見本市場跡には中央清掃工場が建っているほかは、2005年に残っていた廃墟もすべてとりこわされ、まったくの更地。
そして晴海客船ターミナル。若い女性にポーズをつけて撮影している中年男がちらほらいて嫌だなあと思いながら行ってみたら、コスい扮装の役者が集結している。2005年と一緒だ。こいつら年中これやってるのか。しまった土曜に来る場所ではなかった。この寒いのに薄着で珍妙な頭髪の坊ちゃん嬢ちゃんがつるんでいる。でもそれはいい。耐えがたいのは、ごついカメラ持参で涌いて出て露出度の高いお嬢さんに群がる風采の上がらないおっさん連中。やつらと社会的には同類なのかと思うといたたまれなくなる。腕には「撮影許可証」とかいう腕章を巻いていたりで嫌な予感はつのる。しかし聳える客船ターミナルへの興味は抑えきれず、とにかく一瞥とエレベータへ向かうとシルバー雇用なのにやたらと厳めしい警備員が番をしている。ひるまず「一般の者なんですが上には行けないんですか」と尋ねると、一般ですか、ならどうぞ、という扱い。え? 一般じゃないと上がれないのか? 一般じゃないのって誰? コスい役者とカメラ中年のことか。この番人はむしろ連中をブロックしているのだろうか。どうぞというのでとにかくエレベータで6階へ。そしたら、ここはいい。葛西臨海水族園のドームのようにガラス張りではなく、鉄骨だけが組まれた檻の中で抜けがいい。遮蔽物が少なくて視野が下方にも広く、中空に浮いているよう。当然吹きさらしだが、展望台中央には雨よけの屋根がある。これが邪魔ではあるが、下半分は真っ赤。しかもコスい出で立ちののひとびとがおらず貸し切り状態。むろん撮影。EV11.4程度、4号器から8号器は20sから40s、16時頃まで、その後改良前の1号器も30だったか、さらに1、2号器はEV15.6/ISO400で15sと20s。途中警備員が巡回したり、コス役者ではない男女2人が老若3組ほど来るがたいへんゆったり撮影できた。たぶん16時半過ぎ、ひとしきり使いきって下に降りると、「イベントの撮影スペースはここまで」とかいう張り紙。やはり催しだったらしく、どうやら展望台はその範囲外だったので連中が登ってこなかった様子。遠くまで見晴らせ空のひろがりが強調されるようなつくりで、ここはまた行こう。平日がよさそうだが、またやってたら1階からエレベータに乗ればいい。地面も市松模様で、狭いが悪くない。
中央清掃工場に入れるので立ち入ってみる。晴海埠頭は鈴江倉庫など20年前と変わらない。あの時は日没後で暗かったのではっきりとは覚えていないが。原付で来たのだったか。小野田レミコンはあいかわらず入れない。一周して朝潮大橋を渡り月島から17時過ぎ帰還。