H-4.3F-2.8下がっただけ。朝から特快晴。富士はくっきり。
東京駅構内コインロッカーにSV45やベビー三脚等をデポ。あんまり空が青いんで撮影できるかどうかわからないところに行くのももったいなくて、確実に撮影できる再撮影の場所に行こうかと思ったが、日曜で人出もありそうだし、むしろ休日が有利な京葉線へ。
10時半新木場。2006-05-21に行っているが通過しただけで、歩いたのは2006-03-08以来か。行ってみたら、再撮影を避けたのは正しい判断だった。何しろ風が強い。これじゃ三脚が倒れかねない。歩いていてもよろけるほど。これはこれで高揚させられる。東回りで若洲へ。橋の上で飛ばされそうになる。若洲海浜公園入口には、写真撮影には許可が必要で有料とある。北の突端にあるアーチで吊り下げられた構造物は、東京湾埋立地区の地盤沈下量を計測する施設とのこと。その近くにヨットの訓練場があるが風が強すぎて難儀している様子。20年前のアブク景気期の様式のパブリックアートがごろごろ。全体に見るべきものはなし。海岸沿いに南下。前にはここまでは来なかった。次第に、京葉線に乗るたびに気になっていた、巨大だがつくりかけのトラス状構造物が見えてくる。東京港臨海大橋だそうだ。独特な形状のトラス橋で、湾橋や虹橋のようなつり橋よりごつごつしておもしろい見た目だが、こういうのを騒ぎたてると陳腐きわまりない土建趣味に堕してしまうのでただ眺めるだけ。建設中の橋脚の下に防波堤がある。釣り人がちらほら。東京湾のくせに、しかも防波堤の内側なのに波が1m近くある。防波堤の先まで行ってみることに。ところが進むと次第に波が高くなり、防波堤を越えて打ちつけるようになる。釣り人もいなくなる。それでも進む。カメラバッグにはちょうどレインカバーが装備されているので装着。基本的に使わないものなのだが、まさかこんな特快晴の日に使うことになるとは思わなかった。突端に着いたところで撮影できるものもなかろうし、撮影できるような条件でもないのだが、波をひっかぶりながらとにかく歩く。なんのために。とにかくここの最果てを見届けたいという、ただその一念だけで進むのだろう。20年前にこのあたりをあてもなくうろついていた頃からまったく変わらない。暴風雨のような波しぶきの中、防波堤の先の灯台手前の金網に遮られるところまで行きついて戻る。やたらと長い。帰りには海の波しぶきで虹がかかっている。土砂降りにあったかのようにびしょ濡れで、メガネに塩が付着しよく見えない。あとで調べたら570mもあった。ちょっとした冒険だった。
キャンプ場を抜けると原油備蓄施設らしきもの。竹尾の紙の倉庫が立っている。以前はなかった。真新しい。海沿いは塩が飛ぶから機械製品や電子機器の倉庫には向いてなくて、紙とか木とか食品の倉庫をつくるしかないんだろう。このあたりにAmazonのでかい倉庫もあるし、衣料品メーカーもある。
新木場に戻って西側へまわり辰巳へ。東京辰巳国際水泳場が見えるのでひさびさに見ていこうと向かうが、高架に阻まれて進めず遠回りして到着。2006-05-21以来。赤いモニュメントはぐるぐる回っていた。風が強いからか。撮影したときも回っていたのか。そこはまったく見てなかった。この赤いのが写りこんだ写真を2006年の個展に出したというのに。そういえばブレてたかも。奥に進もうとすると関係者以外立禁。取材者は撮影許可証を提示しろとある。見ると何かの大会らしく子供がたくさん。なるほど。彼らの水着姿目当てにカメラ持参で集結する筋を排除してるわけか。おかげで建物が見られない。外側からぐるっと回る。北側の運河沿いにも赤いのがいる。
高速を越えて公園の西端、グリッドでできたすべり台に入りこみ、幼女らに怪訝な目で見られながら陣取る。しかしManfrotto475Bではでかすぎて入らない。Gitzoベビー三脚をコインロッカーに預けてきたことを後悔。しかし屈することなく雲台だけでどうにかやりくりし2枚。15時頃だったか。たぶん30sとか。橋を渡って東雲水元公園を抜けUR都市機構の集合住宅。建設前から何度か見てきたが、できあがったのを見るのは初。だからどうした、というだけ。撮影するなら佃島か横浜みなとみらいあたりのほうがいい。92年か93年に廃エンジンを近接撮影した廃棄物集積場もビルになっている。
そこから豊洲2006-03-11、25以来。埠頭の先へ。以前行ったときには東ガス展示施設の先で警備員に制止されたが、今では臨海線の駅もあって誰も咎めない。東電ビルの先は何もないが重機が稼働している。築地市場の移転問題は先行き不透明。臨海線新豊洲駅で折り返し複合商業施設へ。客は近隣住民だと思われるが、みな似たような世帯構成で、40年後にはあの連中がそのまま高齢化してこのへんをうろつく限界集落となりはてるのだろう。東急ハンズがあるが工房のないただの雑貨屋で使いものにならない。クレーンへ17時前に、雲が出ていて消えるのを待ったが遅いので待ちかねて1枚、EV13.8、2mくらいだったか。もう1枚と思ったが光が弱まり、17時に断念。他にもありここは再訪すべし。平日午前から。道路近くの遊戯場はとりたててなし。かつて石川島播磨の工場だった頃の光景を思い起こしながら豊洲運河を渡り、越中島から東京に出て荷物を回収、中野でフジヤに寄り帰投。地図上で距離を測るサイトで新木場から越中島までの道のりを辿ってみると23km強。前後も考えると28kmは歩いたろう。さすがに疲れた。