透明度低いがまずまず特快晴。8時に出て、アクセサリーアームとか使わない荷物と上着をコインロッカーに。バッグがでかすぎて400円のでないと入らない。9時頃大仏。何度も来たところ。ひと言あいさつしておこうと寺に行って鐘を2度撞くが誰も出てこないので、それでいいことにする。旧型器で撮影なのだが、クイックロードフィルムホルダーIIの内面反射をまだ解決していないのだった。この現象が出たのは去年の羽田大鳥居で、明確に意識したのはベルリンでの撮影。この1年近く何をやってたんだ。いや現行器にかかりきりだったんだが。しかたなく敷地の外に出て用意したカッターナイフで反射してるとおぼしい箇所をざくざく削る。削りかすはQLの箱に受ける。そういえば去年の京都でもこんなことやってたな。京阪線ホームと東福寺の外で。あれはケラレ対策だった。9時半頃からようやく露光開始。インスタントフィルムを7枚切って、30s、QLを7枚、まだ内面反射が残ってると悲しいので念のためカットフィルムホルダでも2枚、だったと思う。すべて正面、離して2位置。お参りに来た母娘に声をかけられる。この大仏さまはたいへんな御利益がある、私たちは毎月来ている、がんばって撮影してあげてください、と。御利益を与えてもらえる、そう思わせてくれることそのものがとてつもない御利益なんだな。参拝客が去るのを待ったりで10時45分だったか終了。もう日はだいぶ昇っている。あとひと月で春分。もうここに来ることもなかろう。5円玉があった。合掌。来ることはなくても、どこかでご縁がありますように。
12時前港に着きプロペラ。プロペラ上端に日の反射があっていい頃合。より上に伸びる羽根に日が当たるのは朝、先にここに来るべきだったか。大仏は夕方がよかったかも。でももう今さら。この条件下でやるしかない。しかし店開きしていたら子供が団体で連れられてきて近隣で弁当を広げはじめた。ちょっとやってられないのでしばしそこらの安食堂に待避。しかし戻ると今度は連中が走り回っていて事態はなお悪化。さっさと失せろと思いながら、もう待てないのでセッティング。ごろごろ転がってきて三脚にぶつかるガキをどやしつけたり非常に気が散る。45分に消えたと思ったらもっと小さい幼児の一群。これがまたうっとうしい。しかしめげずに続行。13時過ぎようやく消える。右側に以前はなかったビルが建設中で赤白トンボクレーンが立っている。やむなし。撮影用フィルムは、こちらでQLを1箱調達したし、400NCもまだ2箱くらいあるしで充分足りているのだが、インスタントフィルムのほうが、出がけにあわてていて1箱しかない。ホルダに残っていた2、3枚と合わせ12、3枚でやりきらなければならない。20s程度。近づけて2位置。ところが、旧型器の露光は晴天時1mベースだったのを忘れていた。ずっと現行器と同じ20s基準でやってしまっていた。今日のこれまでのは増感するとして、ノーマルでも撮影しておく。カットフィルムホルダでも2枚、詰め替えて2枚。さらにフレーム調整、しかしインスタントフィルムがない。また大仏に戻るかもしれないので1枚だけ残し、奮闘して盲打ちで角度変え3枚。14時前、もう充分、時間がない。橋を渡って埠頭を回る。視程が短い。対岸がかすんで見える。サイロの記念物、ここも前に撮影したな。水族館をかすめて中心部に戻る。翌日の天気予報は各社曇。帰りの予約をして美術館。2000年前のフレスコ画は素朴。夕方、空は一層白っぱけて抜けが悪い。大仏を見届けようと思ったが無理。大仏はなんとか最高の条件で撮影しておきたい、と思ったのは数年前。もう興味は現行器にすっかり移っている。やはり帰りどき。N、これまで6回来たが、もうあまり来ることもなかろう。TG美術館もN美術館も行けなかったのが心残り。ここ数年どうでもよかったのだが、またミュージアムに興味が出てきた。ひょっとするとまた来るかも。