ようやく机を組み立ててまともにキーボードが叩けるようになったので、以前の日誌を思い出しながら少しずつ書いていく(4月16日)。
雲がちの晴れ、だったと思う。旧居へ撮影に行く。2日前までは毎日を過ごしていた場所へ撮影に出かけるというのも奇妙な気分。まだ賃貸契約期間は残っていて住民票も移しておらず、なんら遠慮なく自分の部屋とみなせるはずなのだが、もう自分の巣は新居、と切り替えがすんでいるらしく、すっかり「出かけていく」構え。ひとつには、退去後のがらんとした部屋を現行器で撮影したかった。新居を引越前に撮影してもよかったのだが、南側の眺望は旧居のほうがずっといい。もうひとつは去年の今頃ベランダから新型器でテスト撮影した際に一部フレームアウトしていたのでやりなおす。ずっと忘れていて、引越を決めてからは天気が悪く、撮影できていなかった。できるかどうかわからないが、とにかく荷物につめこむ。せっかくなので4x5で。6x9のホルダが荷物に埋もれて出てこないため、6x12を持っていく。
引越前、10年歩いて見慣れきったはずの街並が妙に新鮮に見えたものだった。10年間の記憶がよぎる。この2、3日前に「血止め式」の死ぬ練習という記事を読んでいて、「これまで一番見ていたもの」は部屋の窓の外に広がる空だろうか、デュエイン・マイケルズもかつて、われわれはベッドの中で毎晩死ぬ練習をしていると語っていたが、引越というのも死ぬ練習のひとつなのかもしれない、いやむしろ、みずからの過去を葬るにあたっての喪の儀式のようなものなのだろうか、などと考える。引越当日は夜だったしそんな感傷に浸る余裕もなかったが、今日はまあ晴れてもいるし、かつてのわが街がどれほど輝いて見えることだろう、と期待して行ったのだが、いざ降りたって駅からの並木道を歩いてみると、あに図らんや、まったく素っ気なく見えるし、こちらの関心に入ってこない。通り過ぎてから、あれ、もっとよく見るつもりじゃなかったのか、と気づくぐらいに上の空。なぜだろうと考えるに、引越前の数日は、この10年はなんだったんだろう、などと懐旧的な心境であり、それが核になって風景が特別なものに見えたのだろうが、今となっては新居で暗室をどう組み立てていくかのほうに関心が移ってしまって、元の部屋や街などどうでもよくなった、のではなかろうか。喪の儀式は終わったということだ。
でも、後片づけはしなければならないし、そんな写真とは関係のない、もし写真に仕立てたにしてもありきたりにしかならない感傷とはまったく別に、あの部屋から撮影する必要がある。行ってみると、ゴミが残っているもののがらんとして音がやたらと響く、どうにもよそよそしい部屋。残っていた米を、何度も空焚きして把手が外れかかっている鍋で炊いたりしていたら、日が陰ってきて撮影は見送り、だったと思う。春の暖かい日ざしのもと、窓辺で昼からビールをしみじみと飲む。この時期の引越も悪くない。