復路の機上にて

4時過ぎ起床。半眠半醒の妙な眠りだった。でもこの旅では数少ない、暖かく眠れる宿だった。
小雨。Washington D.C.のMetroは、あきれたことに土日の始発が7時台。基本的に官庁街で利用者が少ないからだろうけど。でも平日は24時前に終電なのに、金土は翌朝3時過ぎまで運行している。ところが駅は3時で閉まるという。なんだかよくわからない。他にも、ラッシュ時と通常時と閑散時とで運賃が違ったりといろいろ面倒。NYCは均一料金で単純明快だったのに。でも、構内も車内もきれいだしエスカレーターもあるしでNYCのように殺伐とはしてなくて、改札も不便な回転式バーや檻のような回転ドアではなくシャッター式。
帰国の便がRonald Reagan National空港9時35分発。本日日曜日のMetroは7時に始発駅を出るので最寄り駅発は7時20分とか。間に合わない。しかも今回、大量の未現像フィルムをX線スキャナにかけずに通すという重大なミッションがある。空港での手荷物検査に時間がかかるかもしれない。できればフライトの4時間前、遅くても3時間半前に空港に着きたい。
土日のMetroの始発が遅いという事実に気づいたのは2日前。あぶないところだった。2時45分最寄り駅発の終電で行こうかと考える。終電は乗り過ごすと後がないので1本前の2時15分最寄り駅発。空港で6時間以上待つのは平気。今回、それに近いようなことはずいぶんやってきた。だが、深夜2時にDCの街中を1人で歩くのはまずいんじゃないか。しかも大積載の荷物。襲われたら逃げられない。まあ荷物をほっぽりだせば逃げられるけど、それじゃ持ってかれ放題。駅まで3ブロックほど。危険とされている夜のUnion StationまでGreyhoundから歩いたし、たぶん大丈夫だろう、とは思う。でも、無事に駅に着いても、今度は地下鉄の車内で何が起こるかわからない。DCは、かつてDangerous Cityの略だといわれるくらい犯罪が多かったという。NYCより危険だったそうだ。現在では治安がよくなったそうだが、それでもあえて危険を冒す必要はない。
NY着の時使った乗り合いのシャトルバスを調べてみる。14ドルにチップ。地下鉄でも2ドルかかるんだから、その差12ドル。さすがにそれだけのために冒険するほどの強者ではない。
ただし問題はシャトルが時間通りに着くかどうか。NYCで乗ったシャトルの運転手は巻き舌のきつい訛で、白人なので東欧系かと思ったが、ヒスパニッシュなのかもしれないが、若干知能障害なんじゃないかとさえ思われる様子で、道をろくに知らずManhattanをぐるぐるまわっていて、同乗の韓国人らしい女性もしびれを切らしてナヴィゲートしているくらいで、JFK空港からChelseaまで3時間くらいかかった。地下鉄のほうがまだ早いくらいだった。空港からの便は遅れてもまだいいが、空港まで行くのに遅れると非常に困る。しかも手検査に要する時間もあるので通常の客と同じ時間で着いても遅いくらいなのだ。
そこで知り合いに聞いてみると、空港からの便はいつもそんな調子で時間がかかるが、空港への便はちょうどいい頃合いに着くとのこと。サイトで大手のSuper Suttleに予約してみると、搭乗便番号と出発時刻を入力させられるのだが、出発時刻から自動的にピックアップの時間帯の候補が4種類算定され、そこから選べるし、搭乗便は正直に書いて出発時刻のほうは実際の1時間前にしても予約は通った。これで行くことにする。
せっかく地下鉄で行ける近い空港にして、地下鉄の駅からも近い宿にしたのに、とも思うが、何かあってフライトに遅れたら、美術館行きのバスに乗り遅れたどころではすまない。ここは安全策をとる。
Super Suttleのワゴンは街中でよく見るし、空港にもたくさん停まっていた。車も利用者も多いだろうし安心。他の地域はわからないが。
NYCで使った業者ではチケットとしてプリントアウトが必須だったが、Super Suttleはそんなもの必要ない。宿にプリンタがないので好都合。でもメールだけではやや不安にはなる。しかも同じ確認メールが3通も届いてるし、翌日携帯に自動音声の電話がかかってきて、何を言ってるかわからずさらに不安になる。ただの確認、それに登録した電話番号が通じるかのチェックだとは思うのだが、搭乗便と出発時刻が食い違うから予約は取り消した、という通知だったらどうしよう。
で、その今日。5時7分から22分の間に着くということだったが、それを過ぎても着かず不安になる。25分頃番号非通知の電話がかかってくるがすぐ切れる。外に出ると青いワゴンがいるので合図して停まってもらい、無事乗車。先客が2組。さらにもう1組拾うらしくうろうろしはじめて不安になる。タクシーは今回、Philadelphiaで連れがいたのでやむなく乗っただけだが、タクシーはあんなに迷わないだろう。そこらのドライバーだってもっとすぐ着くだろう。道を知ってるかどうかの問題ではなくて、道の番号のルールを充分に把握していて、今いる場所からどこに向かえばいいかの判断さえできれば、知らない場所でも難なく行けるはずなのである。そのように合理的な区画設計がされているのだから。しまいには乗っている客が場所を教えている始末。やっぱりあの手の車の運転手はおつむが足りないらしい。間に合わないんじゃないかといらいらしまくり。
そこからはスムーズに空港まで走り、6時10分頃着。チップは払わずに自分で荷物を下ろし、チェックイン。預け入れ荷物は予想通り重量制限にひっかかるが、これまで2度通してきた荷物なのでもう慣れたもの。ある程度減らして重量制限をクリア。預け入れる窓口がその裏側なので、いったん減らした荷物を陰で戻して預ける。Las Vegasよりずっとゆるいのには驚く。国際空港じゃないからか。
さて今回の大一番、Liberty島でフィルムをX線にさらされて以来の大懸案、この3カ月で撮影してきたフィルムをX線に通さないで出国できるかどうかの大勝負である。
富士のアナウンスここなどでは、手検査せずに検査用スキャナに通すと必ず影響があるかのような書きぶりである。そのように言っている高名な芸術家先生もいるらしい。だが、飛行機に乗る機会が多いひとの話を聞いたりした結果、機内持ち込み荷物扱いにすれば、X線を通しても通常は問題ないらしいという結論に達した。預け入れ荷物用の検査機は照射量が強力でかぶるようだが、機内持ち込みの検査機はそれより弱いという。ただ、先述の問題ないというひとも1回だけシマシマのかぶりが出たとのことで、おそらく強力な機種にかけられたということではないか。問題は、検査機がどんな仕様なのかわからないことである。強力なほうでやられないという保証はない。それに、弱いタイプでも5回以上通すとまずいとあるし、増感予定のフィルムも危険。とにかく、できるかぎり被曝は避けたほうがいい。
なお、かつてあったX線防御用の鉛のパックは古い検査機の時代の代物で、現在のCTスキャナに対してはまったく効果がない。
この問題でずっと悩まされてきた。Liberty島フェリーの悪夢の再来は嫌だ。前の宿で会った日本の大手旅行代理店のNY支社勤務のひとに聞くと、DCは厳しいだろうという。出国しちゃうならあとは知ったことではなかろうが、今回Detroitで乗り継ぐので、そこで何かやらかすんじゃないかと思われるかもしれない、と。でも、Reagan National空港は国内線だけだし、国内線のほうが検査もバゲッジクレームも全体にゆるいという理解なのだがどうなんだろう。しかも検査官は個々の搭乗客の最終到着地がどこかなんていちいち調べてないと思うんだけど。
で、運命の検査口。ポケットに入れたままだった携帯が引っかかるが、フィルムのほうはLas Vegasよりすばやい。先に試験紙みたいなのがついた棒でフィルムの箱表面をなぞって検査機にセット。問題なし。想定問答をさんざん考えてきたのだが、ほとんど言葉も交わさず。説明をカードに書いて添付し、サンプルの4x5のフィルムもつけたのがよかったのかもしれない。拍子抜けするほどあっさり。ほんとにパスしたのかにわかには信じられないくらい。やたら時間が余ってしまったが、フィルムが無傷ならどってことない。
ところが今度は、撮影済の箱はこれで全部だったか、どこかに忘れてきてないかと不安になりだす。まったく始末に負えない。
セキュリティポイントの先も空港はのんびりゆったり。国内線だからだろうが、首都DCの空港なのに成田のようなぴりぴりした空気がない。外は霧雨。
3カ月、正しくは89日。5都市を回り、泊まった宿は8カ所。長いところはひと月、最短はひと晩。いちばん記憶に残っているのは、現時点ではやはり、直近で印象が強いWashington D.C.だが、時間が経って相対化して見ると変わるかもしれない。
とにかくここはこの国でも特別な場所だと思う。街並みがきれい、インフラも整備されていて、各種予算が潤沢なのだろうと思わせる。それにNYCのようにひとが多すぎて疲れたりしない。おちついて豊かで、しかしどこか空虚な街。
ひともどこか違う。ホステルで話したひとが、NYCより知的な風貌の人物が多いと言っていたが、ミュージアムを回る観光客を含めて、そうだと思う。ホームレスは多くてタバコや小銭をねだってくるアフリカ系住民もときどきいるが、NYにわんさといる常軌を逸した肥満者はここでは見ない。
滑走路はPotomac川のすぐそば。30mも離れていない。離陸の瞬間はいいものだ。外は上も下も真っ白。短距離だと成層圏には出ないらしい。気流が強く揺れる。11時過ぎDetroit着。こちらは雪。DCでもつららができていたが、こっちはもっと寒いらしい。Detroit発成田行きの便では日本人を含む東洋系が多い。Detroitはデルタ航空ハブ空港なので、あちこちから帰国するひとがトランジットで集結している。と思ったらビジネスクラス以上は欧米人。あんな円高なのによく行くもんだ。香港台北にもトランジット便があるらしいのでそっちだろうか。
除雪のため出発予定時刻を1時間半以上遅れてようやく飛び立つ。旧世代の大型機、Boeing747系。Udvar-Centerでもこれだけの巨大機は収納できない。今回ジェットエンジンの機構がよくわかったので、窓から見える4基のエンジンのうちの左端を眺める。でも当然ながら軍用機ほどのコストはかかっていない。噴出ガスが白く煙って見える。あのいまいましい飛行機雲になっているのだろう。
カナダ上空。湖が1万とかいうけど1万じゃきかないだろう。どこまでを湖とするかにもよるが。これじゃあの広さで人口がたったの3千万というのも無理はない。寒いほうが大きいか。
今回の旅行でいちばん感激したのは何かと考えるに、おそらく美術館ではない。初日、LAXに着いて荷物が消え、あとで見つかったあのときが思い浮かぶ。あのまま出てこなかったら今回の撮影はできなかった。あれはありがたかった。
DCに夜到着したその日には、Philadelphiaでさんざんビールを飲んでしまったが、それ以降今日まで17日間、ビールはまったく飲まなかった。宿が飲酒禁止だから。今朝までいたところは飲んでる奴がいたし、前の宿で1回赤ワインをもらって飲んでしまったけど、ビールは飲んでない。むろん店でIDを提示すれば飲めるわけだが、そんな無駄金使いたくない。デルタ航空機内では350mlで7ドル。いらない。日本では依存症のようにほぼ毎晩飲んでいたが、理由があれば飲まなくても平気。依存ではない。のどが渇くとつい飲みたくなるが、せっかくの機会だからDCにいる期間中はやめておこうと思ったら苦もなく我慢できた。経済観念の勝利である。別に飲む必要はない。ときどきならいいんだが、ときどきですませられたらなあ。