朝から曇。実質的には今回の最終日。
9時半発Dulles International Airport行きのMetrobus。DCでは初のバス。間に合わないと走っていったら3分くらい遅く出発。料金が6ドルなのに7ドルと思いこんでいて余分に入れてしまう。これはきっと、Air and Space Museumからシャトルバスが出ていたときには往復7ドルだったという情報が頭に残っていたから。
1時間で空港着。思っていたより小さい。便も少ないのかバゲッジクレームのラインはあまり動いていないし乗降客も少ない。発着の飛行機も見ない。DCに来るひとはReagan National空港の利用者が多いのではないか。あるいはバスかAmtrak。北東部からの旅行者は特に。Greyhoundも満員だったし、Megabusの発着所にもおおぜい並んでいる。次回はMegabusを使うこと。
45分空港で待ってシャトルバスに。pomeraの時計が遅れていて、またあわてて走る。50セント。空港までのバスにはいなかったひとが結構乗ってくる。地下鉄とバスの併用で来たのだろうか。日本人数人が大きな荷物を持って乗ってくる。入国してそのまま空港からシャトルバスに乗るのだろう。練られたスケジュール。
15分後、Smithonian Steven F. Udvar-Hazy Centerへ。遠い。駐車場に車が並んでいて、車で来てる近隣の客が多い様子。入ると、こんなに不便なのにそこそこの客の入り。さすがだ。
最初に出迎えるのは、機種をまっすぐこちらに向けたSR-71 Blackbird。NYCのIntrepid Sea-Air-Space Museumにあるのは先行機種であるA-12らしい。1964年の初飛行ながら、今なおジェットエンジンの実用的飛行機としては世界最速記録のマッハ3.3を維持する高高度偵察機。でかい。ただの偵察機で積載物も少ないのに。マッハ3.3を出すにはあのエンジンとあのサイズの機体が必要なのだろう。長く伸びた機首は、まさしくひょろりとした黒鳥の首のよう。マットブラックで孤高の出で立ち。中央に鎮座するこの扱いからしても、この国の航空技術の頂点として誇るべき機種と見える。ここでいちばん見たかったのもこれ。冷戦の象徴とされているが、偵察任務は偵察衛星へと移行していき、このような技術は顧みられなくなっていく。時代が別の局面に移行してしまったために、越えられることのない頂点であり続けながら、過去の遺物となった技術。アポロ計画が宇宙開発の黄金期で、それ以降はサターン5型のような大型ロケットで他の天体へ有人飛行するという時代ではなくなり、今なお頂点に君臨しているのもそう。
その奥の別棟には、スペースシャトルの第1号機エンタープライズが、やはり正面を向いて置かれている。大気圏内での試験飛行のみで実際に宇宙に出たわけではないし、エンジンさえついておらず滑空しただけなのだが、パイオニア好きの米国民としては、宇宙開発の新時代を開いた最初の機体として、後続の宇宙飛行した機体より価値がまさるのに相違ない。
縫われた大きな米国旗が、それらの一直線先に吊られている。そういうことか。CapitolとWashington MonumentとLincoln Memorialが一直線に並んでいるのと同じ。
正面入口から向かって左は民間機、右は軍用機。民間機より明らかに軍用機のほうが華がある。国家の総力を挙げ技術の粋をこらしたという力強さが見てとれる。民間機は所詮その技術のおこぼれ。軍用機では、F-86MiG-15F-4MiG-21F-14など往年の主力戦闘機とソ連の対抗機種がある。F-4など本館にないのが不思議だが、狭くて置けないからここにあるのだろう。戦闘機が主体で爆撃機A-6など少ない。サイズが大きいせいもあろうか。F-15はなし。F-4と並んで20世紀後半の代表的軍用機だと思うのだが、航空自衛隊などでまだ現役で使われているためか。
SR-71の左には、B-29 Enola Gayがぴかぴか光っている。特大のジャッキに乗せられて別格扱い。ガイドツアーの説明も長い。4基のプロペラはいずれも、それぞれの4枚の羽が正確に上下と水平に向いている。まるで十字架のように。穿ちすぎだろうか。だが、ほかにこういうふうに揃えられた機体はない。
こうした大型機は別だが、小型プロペラ機はジェット機の前にはかすんでしまう。客も少ない。
カメラや機銃など搭載品も。写真銃という合いの子もある。宇宙カメラのハッセルブラッドは有名だが、空撮カメラでもツアイスのレンズが多い。古いのはテッサー。
コロナ写真偵察衛星ソ連の上空から偵察写真を撮影し、そのフィルムをパラシュートで大気圏内に再突入させ、空中で回収したという。カプセルの中には70mmフィルムより幾分幅広に見えるロールフィルム用の、直径5、60cm程度のリールが2本収まっている。1960年から72年の間に120回以上が成功し、展示されているカプセルをもって運用が終了し、その後は電子画像に移行したとのこと。この時点でケミカル写真の終わりははじまっていたのだ。パイオニアとともに、時代の終わりを告げる最後の者を珍重するのも物語好きのこの国らしい。SRー71も、展示されている機体のLAXからDulles空港までの飛行が、この機種の最後の飛行だという。
DCと近郊にあるSmithonianの施設はこれで制覇した。14時半の空港行きシャトルバスに乗る。おそらくもう行くことはあるまい。14時44分着。ところが、空港からL'Enfant Plazaまでの戻りのバスが40分に出たところだった。道理で3人しか乗ってなかったわけだ。もうちょっと考えてほしいよなあ。次の空港発の5Aのバスは15時45分発。これはシャトルバスに連絡していて、あと1時間ゆっくり見て次のシャトルバスに乗っても同じだったわけだ。バスの乗り継ぎはしっかり確認しないと。どうする。1時間も待ちたくないし、せっかくの最後の1日、これだけで終わらせたくない。他に手段があるはずだ。歩き回るとMetro Flyerというのが出ている。Downtownまでは行かず途中から地下鉄に乗り継ぐ奴。時間はかかりそうだが本数が多いので待つよりはましだろうと10ドル払う。15時18分発。30分くらいで止まって2.40ドルでMetroに乗り継ぎ、16時18分Metro Center着。5Aのバスを待っていたらあと30分はかかった。その30分を6.40ドルで買ったわけだ。なぜ。旧City Museum、現Historical Society of Washington D.C.を見ていなかったから。前の投宿先のすぐ近くだったのに。
急いで駆けつけて見ると、そこらのギャラリーの個展並のお粗末さ。すぐ出る。こりゃどこのガイドでもとりあげないわけだ。ちょっと前に2本の企画が終わったらしいが、推して知るべしだ。
これでは終われない。この滞在をあれで締めくくるんじゃ悲しすぎる。17時前だがNational Galleryに飛び込む。地階の近代か上階かで迷うが上階へ。中世ルネサンスで目なおし。そしてドゥ・ラ・トゥールの『The Repentant Magdalene』を追い出されるまで見る。絵の中の彼女は後悔しているのだが、後悔の残らぬように。南側入口から退館。見上げるほどの高さの扉が重々しく閉じる。薄暮の中、正面階段を下りて帰る。
American Art MuseumとPortrait Galleryはまだ開いているが、もうよかろう。準備もしなければならない。
太い米を炊いたら水が多すぎてやや柔らかかった。荷造り、そして明日の荷物検査突破のための準備。