乾いてない。本来の用途にはさっぱり使わないくせに買ってしまったもうひとつのヘアドライヤも使って2丁拳銃でやろうかと思ったが出てこない。
薬品の臭気にまみれながら1丁のみで乾かす。
ドライヤの奥を覗くと、電熱線はたえず空冷されているわけだから往年の電熱器のように赤熱してはいないけれど、ほんのり明るくなっている。ドライヤを通常の暗室作業で使うひとはよくいるが、たいていは処理後の感材の乾燥だろうから、ドライヤ自体の発光が問題になることはそうそうないのだろう。
14時過ぎ、セットして露光。EV15.1/ISO160で10、20、30、40、50、60、120の段階露光。2m処理。依然ベースかぶり。露光前にかぶらせてしまったろうか。15時、EV14.7で30。2m処理。どうもうまくいかない。研磨して塗布乾燥。
CanDoでステンレス製漏斗。食品用で、3種のうち最大のものでも小さい。平型で、思い描いていた三角漏斗とはだいぶ違う。それでも細口の瓶に注ぐにはないよりずっとまし。
今日の「久米宏 ラジオなんですけど」に出演した色鉛筆画家が、上達の要諦を「鉛筆となかよくなること」と語っていた。みずからの道具と、素材となかよくなる。これに尽きる、とは思わない。観察やら対象の選択やら、道具の練達に尽くされない要素はあるだろう。それでも、道具と素材を知りぬくこと、のみならずそれを好きになること、それらなくして技術の習得はありえない。ひとつのメディウムを新たに創始するとなればなおさらである。そして、まさに目下その途上にある。