区分を1つ減らすか、せっかく登録されそうなんだから出願した3区分のままでいくか迷いっぱなし。
手続補正書と意見書、添付書類2点を仕上げてFAXし確認してもらう。
添付書類は、電子出願に画像として添付するか、書留で送る必要がある。手続補正書も意見書もhtmlで送るんだから、残りの書類もhtmlで送れりゃいいだろうにと思うのだが、押印しなければならず、スキャンしろとのこと。でも電子出願してる時点で本人確認はとれてるはずなんだから、何のための印鑑かよくわからない。
書留なんてばからしいので電子出願ソフトで送ろうと調べてみるのだが、添付のやり方がわからない。ソフトのヘルプを見てもweb上の案内を見ても基本的なところが書かれていない。やむなく電話して聞くと、html書類に画像のリンクを貼れば電子出願ソフトが一括して送ってくれるらしい。なるほど。やっとわかった。
テキストエディタで操作しているからまだいいが、WORDとかだともっと苦労しそう。OpenOfficeWriterでひな形を開くと文字化けしてどうしようもない。
むろんプリントしてスキャンなんてするわけもなく、印影画像を貼りつけてレイアウトソフトから書き出し。
ところが、画像サイズに制限があるのはいいとして、JPEGJFIFじゃないと駄目とか書いてある。何それ。これが引っかかり、Photoshopで保存したJPEGだとエラーになる。ところがIndesignが吐き出したままのJPEGだとOK。よくわからんが通ればいいや。
結局1日仕事。区分問題は先送り。で、ソフトに確認してもらったのをしばらく寝かせていざ送信しようとしたら0時をまわっていた。日付が狂った。やりなおすしかない。丸ごと先送り。
 
こうわかりづらいと「お役所仕事」だと思ってしまうわけだが、確かに説明不足だしちょっと特殊な操作ではあるものの、一度理解すれば、これはこれで合理的だと感じさせる。「インターネット出願」ソフトでチェックしてみて、規定のフォーマットに合わなければ弾かれるが、エラーの内容も指摘してくれるし、何度も繰り返せばフォーマットに合わせられるようになる。
意外によくできたシステムだ。
考えてみれば、市販のアプリケーションや民間の組織の書類づくりでも、特有の約束事がのみこめずに困惑することはままある。
三公社五現業の大企業なんか特にそうだが、それに限らずどこでもあることだ。特に大学。事務手続きから高次の合意形成システムまで、明らかに日常とは別の意思疎通のルールに従って動いているように見える。
閉じた世界には、それぞれに特有のロジックとフォーマットがある。そういうものに接するとわれわれは「お役所仕事」呼ばわりしてしまいがちで、それというのも、杓子定規で理解のハードルの高いルールで動くシステムの代表が「役所」だという暗黙の了解があるからなのだが、このコンピュータ全盛の時代になってから、それはありふれたことであって、別に役所特有の現象でもないことがだんだんはっきりしてきたのではなかろうか。
未知の商用アプリケーションを覚える際には、同様に臍を噛む経験はしょっちゅうである。役所に限らずそういう代物は遍在しているのに、いまだ役所を槍玉に挙げるというのはどういうことなのだろうか。役所は悪玉の見本であって、役所を悪の典型にしておけばなんでも片付く、そういうパターン化した思い込みの所産なのではなかろうか。しかし、そんなに役所が非効率的で独りよがりのロジックを振りかざしてばかりだとは考えにくい。少なくとも、このところ接している現場の役人の対応は、木で鼻をくくったような一部上場企業窓口よりも、総じて低姿勢で話が通じる。特定の目的を満たすためにつくられたシステムには特有の癖がある。特許庁のシステムのサポート役はその癖がわかっていて、われわれがその癖に対処できるよう、充分親切に手引きしてくれる。
裁判所にしても、あれほどの件数の係争を、とにかく公平かつ統一的に処理しようとするなら、一般人にとっては敷居の高い論理体系になってしまうのは無理もなかろう。
役所が悪いわけじゃなくて、多様な用途に応じて統一的なサーヴィスを提供すべきシステムは、それ特有のロジックで動かざるを得ず、使う側としては、それに寄り添っていく必要がある、ということだったのではないか。
確かに役所特有の流儀はある。しかし、それは修得すれば合理的であり、誤解の余地なく転がる。非常によくできたシステムである。
これを頭ごなしに「役所仕事」といって断罪するのは、ソフトを使いこなせないからといってソフトが悪いと非難するのと同じではないか。
ソフトを使いこなしたければ習得するしかないのである。
どうしても習得できないなら、弁理士などの仲介職に依頼すればすむ話だ。役所であれば、代書屋とか行政書士がそういう仕事をしていたわけだ。そういうのをとっぱらってじかに役所と交渉しようとするなら、相応の流儀を身につけて臨むことを迫られても、そうそう文句を言える筋合いではないんじゃなかろうか。
つまり、役所とは、コンピュータと同類なのだ。日常語とは別の言語で動くが、その言語に従って命令を与えればきっちり対応する。表向きは。バグもある。「インターネット出願」を使って出願すると、このきっちり具合こそが役所なのだと思えてくる。
むろん、役所特有の流儀を武装に使って、役所自体の権益を守ろうという輩もいる。そいつらがこの国最大のゴロツキ集団なのはいうまでもない。ただ、特許庁のさまざまがわかりづらいのは、単に「技術者の話は市井人にはわかりづらい」という意味でお役所流なのであって、彼らにそんな悪意はなさそうだ。あくまで、接する範囲内では、の話だし、省益ではないまでも、彼ら自身の保身を考えないことはなかろうが。
世の中には、さまざまな合理性の様式がある。自分が思うところの合理性だけが合理的なるものなのではない。後期ハイデガーでもなんでもいいが、およそ近寄りがたい代物なのだけれども、特有の合理性で貫かれているらしく、しかもそのようにしかありえなかったのだろう、と思わせるような体系がある。どこかの組織のルールが馴染みづらかったからといって、「役所仕事」と斬り捨てるのではなく、それがそれ以外にかたちのとりようがなかったのではないか、と考え、それがそうでしかありえなかったところに寄り添ってみるのも、みずからの世界認識を拡張する契機となるのではなかろうか。
 
弁理士などに頼まないで全部自分でやろうとするのも、やはりかつての会社勤めで叩きこまれたことかもしれない。