人間の目の空間把握は線遠近法とは一致しない。視野角が広がった場合の線遠近法の破綻は遠近法の問題の内部にとどまるものであって、視覚の問題に敷衍するのは無理がある。目下の計画に写真の技術的な興味以上の意味を持たせようとするとき、線遠近法の拡張や問い直しにもっていくならよくてまたぞろ現代美術のギミックの棚の拡充に寄与するだけ。現代美術の内側のさらに片隅、ないし現代写真の一部でしか通用しない。その手の衣裳替えゲームからはこないだオリたとこ。
この試みで実現したいのは、空間の広がりに何か別の再現のかたちを与えられないかということなのだろう。と書いたところで「新しさ」や「オリジナリティ」の呪縛になおも捕われているとすかさず気づかされ、また出口なしの息苦しさに引き戻されそうになってしまう。
そんなおりにふと晴れた外を歩けばやっぱり世界は広くて豊かだ。このレンズでどうにかしてこの広がりを写真に落としこめないものか。これはクールな概念操作のゲームではなく、ベタな内的衝動の具現化であり、だからこそなすに値する。