写真を記述するとはどういうことか。以前も書いているが、一般に、階調群のマッピング情報が与えられ、そのサイズが規定され、媒体の面質が決められれば、ある一枚の写真は書き尽くされる。階調情報を空間周波数に変換し、さらに符号化すれば写真は言語的に記録される。すなわち写真が記述される。それも余すところなく。そこに写っている意味内容などは写真そのものを成立させるための要件とはさしあたりなんら関係しない。要は、デジタルデータ化すれば原理的には写真は完全に記述できるということだ。その記述から元の写真と同等の写真が再現されるならば、記述を介して写真が可逆的に圧縮され、かつ復元されたということであり、その写真は全的に言語へと変換されたということになる。現実には目視によってオリジナルとの違いを見わけられない程度には高精細である必要があり、さらに、オリジナルとの色の差異も閾域下であることが保証されていなければならないのだが、その2点とも現状では達成されていない。現在一般的なデジタル出力デバイスでは、解像度の低さやムラのために肉眼でそのデバイスによる出力であることが識別できてしまう。色にしても種々のRGBのように制限された色空間ではなく、CIE L*a*bなどの考えうる最も広い三次元色空間内の絶対的な色座標として指示し、なおかつそれを忠実に出力する環境が整備されることで、われわれが知覚することのできるあらゆる色をただしく記述でき、それを適切に再現できるならば、符号化された写真は元通りに複製できる。紙などの支持体は必ずしも同一製品である必要はなく、一般に見わけられない範囲まで面質が相似の製品であればよい。支持体は工業製品であるから、原材料の仕様と製造工程によって一意に物性を規定することができる。手すき和紙などの手工業品も製造者が品質の安定を保証する範囲内でそれに準じる。印画紙であれば乳剤やら製品の違いによる発色のばらつきが発生するが、カラーマネジメントシステムによりそのばらつきが吸収され、元通りの色が反映される環境が前提となる。発色方式が同様である必要もなく、支持体の反射率や質感といった面質が近似した上で、階調情報とサイズから導かれる階調変化の密度が充分に高精細であり、色再現域がオリジナルの方式と同等かそれ以上であれば実質上の問題はない。このようにして再現されたならば、原板から従来型の引き伸ばしや密着焼きによって光学的に結像されて焼かれた写真と同一であると見なすことができる。露光方式がレーザスキャンであろうと伝統的な引き伸ばしであろうとまったく関係ない。ただし、印画紙であれば銀浮きしているとか、折れ、たわみ、しわ、ひびがあるとか、印画紙を通常に処理した場合にカプラや黒化銀によって形成される階調とは異なる、まったく別の反応が起きている場合には、L*a*bなどでの記録・再現領域を越えており、別の定義方式によらない限りは記述は不可能である。一定の面質上に色空間内で定義可能な色の集合のみによって構成された写真だけがここで対象とされている。
より具体的に、あるいは銀塩写真の側から考える。与えられた原板を引き伸ばす場合になしうる基本的な判断の局面とは、作業順に挙げるならば、倍率の決定と印画紙の選択と露光時間の増減による濃度の調整、この三つに尽きる。つまりサイズ・媒体の面質やウェイト・トーンすなわち階調ということだ。カラープリントであればCMYのフィルターを調節してカラーバランスを変化させるわけだが、これはCMYそれぞれの露光量を光量の加減によって増減させており、実際の露光時間との積により各チャンネルの露光時間を個別に増減するのと同じ効果を得ている。モノクロの場合には印画紙の選択に付随する要素として現像液の選定により色調を変えることができ、また濃度だけでなくコントラストを変えることができるが、いずれも階調に還元できる。アナログとデジタルとを問わず、階調とサイズと面質の三要素が写真を規定するものである。
ここで、面質を規定せず階調のマッピング情報とサイズ情報のみによって記述されるのが「画像」である。つまり画像とは特定の媒体に依存しない階調の集積のことである。依存しない、というのは個別の提示媒体に縛られずに任意の媒体に乗せられるということであって、それぞれの媒体による制約や影響から自由なわけではなく、当然ながら媒体から独立して成立することはできない。階調情報とはNTSCのようにアナログ信号として供給される場合もあり、これもディスプレイに表示されれば画像と呼ぶことができる。写真は当然であるが画像にあっても符号化されているかどうかは構成条件ではない。写真や画像が記述された、つまり言語を介して再現可能な状態にある、と認められるためには符号化されている必要があるということである。AdobePhotoshopにおけるもっとも基本的で重要な操作コマンドとは、階調を扱う「トーンカーブ」ないしその派生操作としての「画像レベル」等と、サイズを変更する「画像解像度」である。すべての画像操作コマンドは階調の変化を伴うのであるからトーンカーブばかりが階調を扱っているわけではないのだが、画像内容を改変することなしに階調情報のみを操作するという点で、与えられた画像を調整することが目的であるフォトレタッチソフトの根幹というべきである。原理上はどのようなサイズにも拡大縮小することができ、同時に明確な現実的外延を持たない画像情報に対して、現実上の広がりの大きさを与えるサイズの決定は、ミニラボでの焼き増しの発注やデザイン業務などでも大きな部分を占める要素であり、見過ごされがちではあるがサイズとは写真にとって不可欠の属性である。しかしながら、それは階調の集積を現実化する上で必要になる属性であり、画像の本体とは階調なのである。一組の階調情報があれば、サイズはあとからある程度任意に設定しなおすことが可能である。このように場合に応じてサイズをいかようにも変えることができるのが画像であり、一方物質としての最終提示媒体と切り離すことができず、いったん引き伸ばされたら倍率を変更することができないのが写真であるということもできる。
AdobePhotoshopでは、画像処理において最も重要なこの「階調」を扱う機能が、94年のヴァージョン3.0以降基本的にはまったく進化していない。階調を管理する「トーンカーブ」コマンドにおいて改善されたのは、5.0あたりからshiftクリックでコントロールポイントの選択がしやすくなった程度であり、トーンカーブのダイアログサイズはずっと二種類のまま、16bitフル対応となった現在でもいまだに256ステップしかなく、大きなガンマのカーブではおおまかな調整しかできない。情報パレットではピクセル値の16bitでの表示ができるようになったのだから、16bitは細かすぎだとしても、せめて10bitの1024ステップはあってもいいのではないか。スポイトツールで拾った色をコントロールポイントに反映させるとか、カーブのコントロールを補助線つきのベジェ曲線のようにおこなうといった機能の付加もあってよさそうなものだ。なお、一般用とされているAdobePhotoshopElementsには「トーンカーブ」コマンドそのものがない。また、シャープネスも画像にとって重要な評価軸だが、これも明暗差の急峻さの度合であり、階調の問題に帰着させることができる。AdobePhotoshopの「アンシャープマスク」などシャープネスフィルタ類はすべて、明暗が隣接する部分の明暗差を強調して輪郭をはっきりさせるという点で、階調変化に関する演算処理である。像のシャープさの指標となるMTFも階調変換の特性である。
写真とはまずもって階調なのである。写真なら像が消えても紙や支持体は残るが、面質という物質的な属性に頼ることもできない画像では、階調情報がなくなればもはや何もなくなる。コンセプトやら時代背景やら撮影者の事情やら観察者の都合やらなんやかやに先んじて、写真を前にしてまず目に映るのは写真の階調なのである。これは知覚を色覚細胞への点的刺激に還元するような主張とは異なる。写真に写された対象をそれと知覚するための条件として、そこに明暗か色の布置があらかじめ準備されている必要があるのである。写真において、画像において、階調はないがしろにされるべきではない。しかしこれにいくぶんなりとも近い立場から個々の写真について言及されたのを読んだことは、Newhallや、大辻清司など写真家であり写真教育者でもあった数人のわずかな例を除いてほとんど記憶がない。