写真は三次元を二次元に変換するとか圧縮するとかいう紋切り型の口上についていつぞやのつづき。
一般の写真を撮影するための道具であるカメラには、一方にフィルムや固体撮像素子、場合によっては乾板だったり湿板だったり印画紙だったりするわけだが、ともかく受光体があって、他方、そこに像を結ばせるためのレンズなりピンホールなり反射鏡といった結像系がある。加えて、受光体に像があたる時間を調節して光量を制御する機構もあるにはあるのだが、これはカメラを構成する独立した要素とは言いきれないように思われる。レンズシャッターは手動でレンズキャップを開閉することにより露出を与える手段の延長と見なすことができる。またモノクロ時代の映画ではネガフィルムからのプリント技術が未発達であったため、編集段階でフェードイン・フェードアウト効果を与えるのではなく、絞りこむことで光を遮断できるような虹彩絞りを内蔵したレンズを用いて、撮影時にカットの前後で絞り切りを行ってフェードイン・フェードアウトと類似した、しかし明るさと連動して被写界深度が変化することでそれと見わけがつく効果を得ていたのだが、このような絞り切り機構は後年の8mm/16mmムービーキャメラ用のCマウントシネレンズにも搭載されており、30年ほど前までは生産されていたようである。映写フィルム撮影での絞り切りに使う限りでは絞り径を1/∞にするということであって露出時間の調整ではないが、おそらく写真用と思われる比較的大型のレンズでも絞り切り可能な個体を見かけたことがあり、シャッターがわりに使っていた事例もあると推測される。これらのことから、シャッターをレンズに付随する機能と考えることができる。また、フォーカルプレンシャッターはフィルムの前の引きぶたを抜き差しして露光させる方法が進化した形態と考えることができ、ライブビューが可能な受光素子には外部シャッターを必要とせずデバイス自体に露光時間を制御する機能が組みこまれているタイプもあるので、その点ではシャッターを受光体の一部と見なしてもいいだろう。結像現象を遮るか、感光作用を打ちきるかの違いだけであり、いずれにせよシャッターとはカメラにとって本質的なしかけではない。さらに、オープンフラッシュ撮影、つまりシャッターを開きっぱなしで瞬間閃光により露光させる撮影では、光量と絞りによって受光量を調整できるので、条件によってはシャッター自体不要である。ただしここで注意すべきは、それなら結像系が写真の本質的な要素であるかといえば、フォトグラムによってとっくの昔にそんなドグマが裏切られているという事実に示されるように、メディウムにとって「本質」などというものは存在しないということである。何らかの「本質」を措定してみたところで、ここぞとばかりに実作に覆される。しかしながら、現状で言えることはこうだ。結像系と受光体、カメラにとって不可欠の要素とはこれだけである。
何か忘れてはいないか。あらためていうまでもなく、そもそもカメラがその名で呼ばれる所以はフィルムとレンズとをつなぐ暗い部屋、閉ざされた空間にあり、これがあってようやくカメラはカメラたりうるというのが一般的通念である。だが、この暗い部屋は果たしてなければならないのだろうか。穴だらけの暗箱なんていくらでもあるし、うるさいことを言わなければ遮光性に不備があっても写真は写る。さらに言うなら、レンズとフィルムとの間のおおいをとっぱらっても、レンズが周囲の照明に比較して充分に明るい像を結ぶなら何がしかの像は得られる。たとえば、現在の印画紙よりもはるかに低い感度の古典印画法の感光紙を戸外に出し、中空にかかげた虫眼鏡で太陽の光を感光面に集光させると、これは太陽の像が感光紙上に結ばれている状態であるので、発火しない程度の適当な時間露光して現像定着処理をすれば、空に小さな太陽がある風景の反転像ができる。これだって立派な写真である。また、前述のオープンフラッシュでも、極論すれば箱は必要ないことになる。したがって、カメラには暗い部屋は絶対不可欠ではない。シャッターがカメラにとって本質的な要素ではないというのは、シャッターは暗い部屋を維持するための装置でしかないからである。カメラとは必ずしもカメラでなくてもいいものなのである。
レンズとフィルムとの間になければならないのは、むしろ間隔である。暗いことや閉ざされていることは二の次であって、空間こそがそこにまずもって必要なのである。それは結像というものが対象との共役点に形成されるものだからであり、像が結ばれるためには結像系と受光体とは離れていなければならず、同時に結像系が対象と離れていなければならないからである。光学の基本的な光式に次がある。aを対象からレンズまでの距離、bをレンズから像までの距離、fをレンズの焦点距離とする。
1/f=1/a+1/b
参照 マウスで左側の木を左右させる ここでa、b、fのいずれも分母であるから、0になることは許されない。対象とレンズと像との間にはかならず距離がある。レンチキュラーフィルムのように像面とレンズが密着している例もあるが、媒材が空隙を埋めているというだけのことであって、レンズの節点が像点と一致しているわけではない。それ以前に色分解のためのレンズであって像形成のためのレンズではないが。実際にはa=0やb=0になる以前に、a