出がけに降りだす。片手にブリーフケース、片手に未露光の印画紙。浅草橋のAの業務用冷蔵庫に保管してもらうため。両手がふさがっていてカサを持たずに出たので、大全紙の印画紙を頭の上にかざしてカサがわりに。こんなことするかね。ずぼらにもほどがある。駅に着いたときには箱の表面がぬれていて、拭いても湿っている。当たり前だ。中の印画紙はビニールコートされた遮光袋に入っていて、開封してはあるが口を折ってあるのでさほど影響はないとは思うのだが、感材は湿気大敵が鉄則でしょうに。
かなり本降りになってきた。2年前、この画廊が新橋にあった時の個展では、最終日の終わり間際に多くの来客があった。でも、この雨では難しいかもしれない。それに銀座の流れで来る人が多い新橋とこことを同列にはできない。あと4時間。
いつも感じるのだが、個展では毎回評判がよい。それはそうなるべくしてそうなのである。個展にお越しくださるかたは、たいていDMなりHPの画像を見て、これはおもしろそうだと判断したからわざわざおいでになるのである。銀座で回遊ルートになっている画廊ならともかく、固定客がほとんどいないここでは大半がそうだ。しかも近隣に他の用件を満たすあても乏しいので、来客はこの展示を見るためだけにはるばるやってくるのである。よほど興味を惹かれないといちいち足を運ぶものではない。来てくださるかたにわりあい好評なのは、もともと好意的な人が見に来るからなのであって、ネガティヴな評価の人はそもそもいちいちやってはこないということなのだ。見に来ないというのは、それ自体が無言の評価なのである。
最大の制約は写真ではなく、経済状態と人間関係、そして世間的評価という写真外の諸条件にある。
初日が遠い昔のように思える。懸命にプリントした日々も。まだ半月しか経っていないのだが。あと3時間。
お子さん連れのお客さんがあったので、3歳女児に写真についてたずねてみるも関心なさそう。絵は描くそうだが、人の顔らしきものばかりらしい。男児だったら建物に目が向いているようにも思うが、いずれにせよもうちょっと大きくならないと無理かもしれない。
想像していたよりさらにずっとおもしろい、との激賞をたまわる。
どうにか次につなげられそうだ。どうにか。
それにはまず資金を稼がなければならない。これ以降のは今まで以上に出費がかさむ。これまでは直接の制作費、主として感材代と現像代が経費の大半であり、旅費というのは必要最小限未満に抑えてきたが、今後は多大の移動費と滞在費がかかる。とにかく、とにかく金の工面。働かないと。そのためには写真を控えなければならないというジレンマ。明日は晴れそうなのだが。
最終日搬出というのはいい制度だ。終了後ただちに作業をしなければならず、とにかく手と体を動かすので、無用な感傷に浸っているいとまを与えられない。懸念された、あとから画廊スタッフが貼った両面テープによる壁のはがれはあまりない。補償など特にせずにすみそう。
ご来廊のみなさまありがとうございました。
とにかく、終わった。次へ。