会場撮影。日中は外光が入ってきて色温度が狂うので、日没後のほうが外光の影響を受けずに撮影できる。しかし、外に対して開かれている空間の記録として、さらには外の景色に恵まれた安寧の時間の反映として、むしろ日中に撮影すべきと判断。Mamiya7+43mm。ISO64でf11.5、1/2s程度。Mフィルターをかけたので露出補正しf11.3を中心に±0.3。撮影し終わってフィルムを出してみたら、そういえばISO100のRDPだった。気を抜くとこれだ。仕事じゃなくてよかった。しょうがないから劣化覚悟で減感するか。次はネガのNCP、これは感度64と思って撮影し、よく考えたら160だった。この一年間ずっと使ってきた感度なのに。よほどこないだの仕事の64というのが頭の中に塗り込められているのだろうか。明日また持ってって再撮するか。自分の個展の会場撮影ごときでそんな。
4x5に47mmをつけてぐるりと覗いてみる。なるほどこうなるのか。画角120°に及ぶ超広角レンズの撮影はある程度やってきたつもりだが、それでも実際に覗いてみないと見当がつかない。まったくのパースの問題なのだが、なかなか把握できない。L字型の空間で処理が難しいということもある。これで決まりという視点は見いだせなかった。
画角120°の訓練に寄与しているEOS-1n+12-24mmがなおも出てこない。ほんとに盗まれちゃったのだろうか。戸じまりくらいはきちんとしないとなあ。それよりまずカギをまともに管理しないと。個展が終わったら生活立て直します。
2003年までの個展出展写真からの断絶を指摘されて、充分な説明ができないのは、それ以前は基本的に平面的対象の再現であり、2004年以降は突然奥行きが如実になった、ということにつきるだろう。色味などたいした問題ではない。
「これは人類がはじめて目にする視覚なんですか」という、冗談のようでありながらなかば真剣な問いかけを受ける。そうです、と応じたいところだが、昨日達した結論に従う限り、人類史上まったく類例のない画像である、とはあいにく言えない。それどころか、上記のような画角120°程度のレンズを用いれば、効果は弱いがこれに類する現象をたやすく確認できる。そしてまた、絵画であれば現実の制約を離れて自由に奥行き構造を改変できる。今回の写真に遠近法の歴史上の意義があるとしたら、たとえばエッシャーなどのだまし絵のように線遠近法的秩序を巧妙にごまかして奇妙な空間を捏造するのではなく、あくまで線遠近法の原理に忠実に従いながら、現実的な対象の再現という枠の中で、なおかつ人間の日常的視覚とは著しくかけはなれた空間再現を実現している点にあるのだと思う。
あと一日。明日午後5時まで。