2003年の個展までとそれ以降とでは明らかな断絶がある。それを架橋すべくあれこれ言辞を弄しはするのだけれど、言ってる本人が無理矢理だなと思っているふしもあるし、どれほど弁舌巧みにつなげられたところで、所詮はこちら側の事情にとどまるいいわけでしかなく、見た目の落差を埋められるものではない。だからこそ誰もがその落差に言及する。その断層をならそうと思ったら、目に訴えるしかたで整地するしかない。
でも、あえてわざわざなめらかにつなぐ必要はないのだ。断層が一カ所だから目立つのである。ボコボコといたるところに亀裂があれば、もはやそれぞれに妙な意味などなくなるし、好き勝手にどこへでも飛躍し放題だ。待機中のいくつもの構想がいずれ具現化できれば、そんな段差にいちいち足をとられてつまずくこともなくなるに違いない。