火曜日にプリントして以来そのまま放っておいた薬品で再開。モノクロは現像液に着色と沈殿があるが、サンプル程度ならまだまだ行ける。4x5モノクロネガをはじめて焼く。7453で35mmフィルム以外を焼くのもたぶんはじめて。2000年あたりに撮影し、自作の4x5現像器で現像してそれっきりだったもの。はじめのほうは水洗でフィルムどうしの角がぶつかり合って傷だらけ。いきなり本番フィルムの処理をしたのだった。普通テストとかするだろうに。モノクロフィルムなんか安いんだし。薄くて眠い。まあろくなプリントはできそうもない。でもそれは6x7でも同じこと。もともとファインプリントとかどうでもよかったわけで、たいした問題じゃない。Forteがなくなって、ちょっとしか使ってないのは残念だけど、別にどうでもいいよ。もともと「違いがわからない男」が身の上なので、わかるのははっきりした違いだけであって、トーンの微妙な差なんて見わけがつかない。そのわりには一時期オーディオに凝ったりして、それはある年代以上のカメラ愛好者はみなそうだと思うのだが、レンズもオーディオも再現性とそれとは逆行する味とかに拘泥する点で共通するものがある。でもレンズの話にしたところで、ああだこうだいう能書きがおもしろいのであって、出てきた結果に対してはそうした情報を確認する程度の関心しか持てない。カラーマネジメントの理屈やツールはおもしろいけど実際に色が合ったからといっておもしろいとかそういう問題ではない、というのと近いかもしれない。昔から一貫して使用を忌避している語彙がたくさんあるのだが、特例であえて使うと「美しい」というのは意図して避けていることばのひとつ。そんな恥ずかしいことばを臆面もなく連呼する手合いが、つける薬のない病を罹患しているということは、昨今の行政府の長を見るまでもなくはるか昔から疑う余地もない事実である。だいたい字面がみっともないし音もウ行が続いて汚いし通常は決して使わない。そもそも審美的価値基準からほど遠い場所にいるわけだ。「美」術家なんぞより技術者、発明家、開発者のほうがよっぽど向いている。
まあそんなのはさておき、このプリントは数年前にAgfaのRC8x10が安かったので買った印画紙で焼いている。Multicontrastclassicはちょっと使ったことがあるけれど、Agfaの印画紙を使うのはそれと今回だけ。これも使い切って、この先はないだろう。
カラーはずっと24℃程度で循環させていたのを35℃に戻して続行。はじめのうちはローラーに付着した汚れが移って仕上がりが汚いが、色はそこそこ出ている。メスカップに残っていた発色現像液は、空気にさらされっぱなしということもあるにせよ黒く変色しているので、プロセッサを待機状態で循環させておいたほうが液のもちがいいというのはどうやらほんとらしい。プロセッサ内の結露はかなりだけど。画質なんか知ったことではない的な口上を垂れておいてなんだが、やっぱ銀塩引き伸ばしいいわ。ちゅうかラムダひどすぎ。違いのわからない俺にでもクオリティの低さは明瞭にわかる。トーンとかレンズの「味」のよしあしなんざわからないけど、目の分解能に関してはかなりの高スペックを誇っているので、レーザ露光型銀塩プリンタなんぞ許容できない。インクジェットは50インチ幅程度の大サイズならアラが見えないが小サイズを近くで見るとまだまだ。フィルムで撮影したのをスキャンしてラムダやインクジェットで出すなんてあほくさくてもうやる気がせんですわ。少なくとも銀塩感材と薬品が供給されている間は。
モノクロとカラーとを気分に応じて行ったり来たりできる作業空間。いやあ最高。いつまでこの環境が維持できるかわからないけれど。まだまだ続行。