はるか遠くに雲あるも朝からほぼ特快晴。透明度まずまず。金龍山浅草寺。日曜だし人出が多いだろうと思ったら予想以上。漁師が観音を拾ったとかの縁日らしい。本堂はさすがにでかい。しかし手前の建物にさえぎられており左右が隠れる。コンクリ。これはなし。雷門も人が多くて困難。途中の門は工事中。浅草神社の拝殿は瓦屋根で仏閣風。奥の本殿らしきものは板金屋根。裏に森などなく、申し訳程度に木が植えられているのみ。浅草寺と境内が続いており、神仏分離で切り離されなかった珍しい例といったことを人力車の衆が客に講釈している。拝殿のすぐ前に「奉献」銘つきのよくある青銅の狛犬がいるが、そのずっと前で石刻の狛犬が吠えている。かなりでかい。これまで狛犬は気になっていたのだが、神社なのでみな木にさえぎられていたり背景に恵まれなかったりで撮影に至ることはなかった。これは後景もほぼ抜けており好適。色はグレーだがこれもよろしかろう。12時過ぎ、ポラT53を4sで3枚切ってカットホルダ2枚、EV15.8、45sから50s。さらにQL1枚、風が出てきたのでひさびさにストーンバッグに水で加重。13時前終了。狛犬はいろいろやれそう。神社本体よりも狛犬ねらいになるかも。外国人観光客が多く、一人はずいぶん興味深そうにじろじろ見て、何をとってるのかと聞いてきた。狛犬を指したらこみいった話は無理と察したか早々に引き上げていく。3世代の家族に神社を前にして撮影を頼まれ、何の気なしに家族を中心にフレーミングして撮影してしまうが、カメラを渡してから神社を大きく入れるべきだったのかと気づき、悪いことしたかなと思い至る。かくも写真の世間的使用法には通じていない。最近ようやくこうした撮影で「はーい撮ります」などと声をかけられるようになったとこ。とにかく疎遠なしきたり。老婦人が珍しい狛犬だと話していた。そうでしょうとも。獰猛な顔つきだが頭髪は坊ちゃん風。邪気を踏んづけてない。
南に雲が出てくる。北東に来たのは正解だった。
浅草寺側には扮装プレイ中の知能程度が低そうな子女がゾロゾロといて非常に迷惑。仏教がらみの扮装かなんか知らんが族とか追っかけとか新興宗教とかそういう連中と同質の臭気を発散させるツルみっぷりで見苦しい。街中で堂々と一人でやってりゃ一目置くけど。影向堂の屋根にシャチホコのような金色のツノ状の鴟尾が生えていて撮影したいのだが、こいつらがお堂前に居座っていて、いや座ってるならまだしもご苦労にもつっ立っており、色が派手なので目立ってしょうがない。さっさと失せていただきたいのだが1時間くらいしても去る気配はない。また来るさ。本堂では声明のような儀式。外にも青銅の仏像が出ているが周囲が木だらけ。でも広々したいいお寺。
そして西新井大師總持寺大師前駅のすぐ脇。もう15時なので遅いか、と思ったら八角大師堂の屋根の先、なんというのかわからないが炎状の金色のレリーフにちょうど太陽の反射が入って輝いている。むしろ絶好の条件だった。これはやらねばなるまい。また3枚ポラ切り、縦位置のカットホルダを使い切ったのでQLで場所と仰角を変えつつ3枚。EV15.3、45s。今考えると横位置用でもよかった。今回も水で加重だが、背後の竹が風で揺れている。止まっててほしかったが、かえってぼけていいかもしれない。よく見たら正面の提灯も揺れている。これで充分だと思うけど、もし今日のが失敗だったら、より太陽が高くなる夏至近くの16時頃であれば、撮影位置と太陽が屋根飾りに対して鏡面対称に位置するのでもっとまばゆく光り輝く。ただ、中の大師像らしきものが開帳されているのだが、16時すぎると扉が閉まるので考えどころ。
大本堂はご多分に洩れずコンクリ。浅草寺は瓦に趣があって造形も風格があるが、ここは大きいだけで荘重さに欠ける。しかも背後に高層住宅。山門は木造だが仲見世に阻まれている。ただ全体につくりがよく、集金力の高さがうかがえる。今日はあまり活気はなかったが、3月でも屋台が出ているのはさすが関東三大師の一。池があり鯉がいて、牡丹も植えてある。境内飲酒禁止の掲示があちこちにあるのは気になるが場所柄いたしかたなしか。老人が去り際に門の外からゆっくりお辞儀をしていくのは見ていていいもの。ここもいいお寺。
まだ日が高いのに歩かない手はない。尾竹橋通りをてくてく。迦羅陀山千蔵院満願寺はどうということなし。長命山常唱庵は学士帽子型の鉄筋コンクリ。このタイプはあちこちにあるが、流行でもあったのだろうか。千住桜木についても歩きたりないのでさらに町屋へ。地下鉄運賃は北千住と変わらないのだが。今日は大入りほくほくであった。