朝雲がでているが10時過ぎになって晴れわたりあわてて準備。昨日フィルム装填せずに寝てしまい、昼はDKが全暗にはならないので浴室に目張りして、床が濡れているため全紙の現像バットを敷いて作業。光がごくわずかに入ってきているのではないかと気になるがとにかくつめて出発。西に遠く雲があり、予報でも夕方曇なので近場がいいかと護*国寺。10数年ぶりか。葬儀をやっている。こういう情報はHPには乗せてくれない。失敗か。仁王門に5色ストライプの幕がかかっており、制服の警備員があちこちに。無視して上がっていく。本堂にもしましまの幕。それに弔問客の車と思われる黒塗りの排ガス製造機が多数。これが写り込みそうなので後日か。本堂は南東向きなので早めの時間帯がよい。300年前の木造建築。重要文化財。装飾が少なく質実剛健といったおもむきの簡素な大伽藍。もっと容積の大きな近代的建築物はそこらじゅうにいくらでもあるが、存在感はこの大伽藍の比ではない。10代には論理の大伽藍の構築を夢想していたがついにかなわなかった。かわりに今ではこうして先人の遺した伽藍をただただ見ている。それもおよそ常軌を逸したしかたで。
午後には案の定雲が出てくる。墓地を回ってみる。野*間家の個人の墓石が並ぶ一角があり、近所の音**グループ人らしい。出版業が時代の先端だった時代に日本の出版を支えた人々か。松平*家の墓所があり、その中にある塔がおもしろいが背後に雲があるので様子見。日がかげってからのほうが下向きの側面に日が当たりよさそう。ただし木の枝の影が気にかかる。しかしここは他よりは広いとはいえさほど豪壮ではない。徳川一門の松平*家の墓としてはぱっとしないような気もする。松平*家にもいろいろあるんだろうけど。塔には葵の家紋と「子爵」の字があるので徳川から出た松平*家であることは間違いないのだろうが。
雲が晴れるまで近隣をぶらぶら。いったん435号線を東池袋に行ってしまうが戻り、本浄寺に寄るがしょぼい。435を南下し目白通りから東京カテドラル聖マリア大聖堂へ。しかし改修中。20年ぶりか。35mmをやっていたころに来たかも。ピンホールには向かないと思い、今のをはじめてからは来てなかったのだった。かつてここにふらっと入り瞑想的なオルガン曲を聴いた時の感銘が忘れられない。即興ではなく曲目の練習だったらしいのだが、曲名は聞けなかった。アンビエント音楽っぽいともいえる、和声が茫洋と続く曲調。トゥルヌミールあたりだったのだろうか。オルガンは当時とは違うらしいが、ここの特徴は楽器よりもこの空間の音響特性。残響7秒という空間で、しかも吸音体である人がいない条件でああした音楽を聴ける機会は稀少。そのうえ内部空間の造形もすばらしい。かつてはあちこちのオルガンに通ったが、記憶に残っているのはこことせいぜい東北学院大の新礼拝堂くらいだ。改修は外装のステンレス板を剥がす大がかりなもの。作業者が小さく見える。これもまた大伽藍。
国立代々木競技場も先ごろ改修されていたが、これが都庁舎の雨漏りなどにも通じる、丹下建築の耐久性の欠如を意味するのか、それとも単純に建造後40年という歳月による経年劣化なのかが気になる。しかし、いずれにせよ、壊して建て替えるのではなく改修して残すことには賛同できるし、それだけの価値のある建造物だと思う。現在の日本の建築で40年後に改修してでも残されるだろうもの、あるいは残されるに値するもの、と考えてみてもひとつも思い浮かばない。単に建築に不案内なだけだろうか。
15時頃、雲が東に低く残るだけとなりあわてて戻る。空が青い。松平*墓所に戻ると後景の木が高いので雲はある程度隠れたのだった。もっと早く戻ればよかった。木の枝の影も予想どおり塔に落ちている。下側に光があたっているのでこのくらいでもよかろう。この墓所、他よりは広いがセットすると東に高めの雲。消えるのを待っているうちだんだん暗くなってくる。日が雲に隠れ、待っていても消える気配がなくどんどん西から登ってくる。その流れる先は東の空、構えている先だ。あきらめて出直し。あんなに空が青かったのに。もっと早く戻っていれば。後悔ばかり。