朝から特快晴。透明度は低め。一路鎌倉へ。駅から歩いて鎌倉大仏。11時。拝観料200円なので入場前に扉のすきまから下見。南南西あたりを向いているのですでに光源が正面に近い条件。春分を過ぎると南中付近の日も高くなる。しばらく様子を見ることにし近所の寺院を回る。まず長谷観音長谷寺。平日だというのにかなりの人出。ここは典型的な観光寺院。浅草寺や川崎大師は観光寺院ではない。なぜか。拝観料を徴収しないから。拝観料300円も払ってまで、ここに近隣の住民が日課として参詣するとは考えられない。それとも地元民は別扱いなのだろうか。だとしたらそれはそれで妙な話だ。遠くからやってくる観光客が特別な行事として詣でるだけの観光名所でしかなく、生活に根づいた信仰の対象からはほど遠い。それは京都奈良の有名どころも同じことだろう。西新井大師浅草寺はそうした世界遺産級の寺院に格式なり知名度なり歴史的重要性では及ばないかもしれないが、市井の人々が日々仏壇を拝むようにお参りしていて、社会的宗教施設としては本筋なのではないかと思える。でもまあせっかく来たのだし入ろうと思い、受付に撮影はできるんですよねと念のため尋ねると、「三脚は原則としてお断り」でただちにきびすを返す。金取ってそれかよ。京都奈良なみ。しかもここは奈良の長谷寺の出店らしいのに。外から見ると本堂は樹木に埋もれてそうだし、観音は屋内なのでどのみち撮影は無理。用なし。しかも本堂はコンクリらしい。そんなのはいいとして、本題の大仏も撮影禁止なのではと不安になる。
極楽寺に行くと、山門は茅葺きで立派だが、それだけ。地名にまでなっているわりにはやる気なさげ。しかも撮影どころか写生もお断り、と。お参り以外は入るなと来た。そこら中の電柱に(有)極楽寺葬儀社かなんかの看板が貼ってある。場所もはずれにあるし、観光より葬式仏教のほうが金になるということか。成就院は切り通しの上の高台。鎌倉時代からの切り通しらしいが地盤が不安定らしくその手の標識がちらほら。東西に結界。ここも撮影禁止。あれほど有名な大仏ならなおさら敷居は高いか。
帰りは海岸に出る。由比ヶ浜は中学時の修学旅行で遠くから見せられた記憶があるので、大仏もその時に見ているだろう。まだ日が高いので鎌近に行くか駅東口の寺を回ってくるかと考えるが、そうやって本命の時機を逸するのがいつもの習わしなので、早めに大仏に戻ることに。公衆電話がなく、長谷寺まで行くと観光バスが並んでいて団体客が大挙して押し寄せている。金曜日だから土日と合わせて遠方から来ている観光客が多いのかもしれない。火水ならもっとすいていたかも。土日の観光客はさぞやだろう。こっちもむろん観光客なのだが。大仏の高徳院におそるおそる電話すると、個人用途ならば撮影OK、三脚使ってる人もいますとのこと。苦戦を想像していたので、仏様のような寛大な御心に思えてしまう。
さっそく入場。14時前、まだ日がやや高い。空は20日ほど青くはない。頭部が大きい。耳たぶが細長いリング状になっていて、福耳には見えない。ピアスの穴もどき。ひもを垂らしているのか、それともあの輪っか自体がピアスなのか。ダリのような形でもっと細い口ヒゲとキューピーの頭髪のような巻き毛のあごヒゲ。いずれもインド人風。大仏正面の壇上に花やくだものが供えてあり、グレープフルーツの黄色が邪魔。それにその位置に三脚を構えるのは、うしろから拝まれる格好となり、さすがにこの人数でははばかられる。そこで正面をあきらめ、向かって左側から。完全順光となる。東京大仏の時と同じ。この時間帯なら向かって右から撮影するほうが着衣の襞の立体感も出るし顔の表情にも陰翳ができて、ライティングとしてはより効果的なのだが、そちら側からだと背景に木が大きく入りこんでしまう。順光だとどうしてものっぺりしてしまうが、それを避けたいなら早朝に出直すしかない。たしかに入場券に入っている大仏像はほぼ正面からだが早朝のサイドサイトで撮影されている。しかし、そうすると頭部の半分は陰となり、フィルム上部の露出の少ない部分で特に頭頂部が暗くなり空に埋もれてしまう。順光でまんべんなく光があたっているほうが多少とも対象が際立つはず。それに彫像撮影の定型をわざわざ墨守すべき内容でもない。だからこれでいいのではないか。
14時過ぎ、ポラ1枚で確定。てっぺんが丸い対象はやりやすい。EV15.3、正面14.8。カットホルダで45s。これが右寄りだったので、禁じ手の左右ばらしをやりたくなってくる。しかし縦位置カットホルダが1枚表裏しかないのでえらいことに。回転させポラ切ってQLで同秒時。さらに回しカットホルダで同秒時。ところが露光中真後ろに飛行機雲が。糞野郎墜落死やがれ。やむなく横位置カットホルダで同条件。さらに振ってポラ大量に消費し左右を横位置カットホルダ、裏面は露光済かもしれないのでさらに1枚。75s程度。延々やって16時。木の枝の影もかかってくるしもういいだろうと思っていたら、寺男が来て壇の花とくだものをかたづける。しめしめやってやれと正面に三脚を鎮座させる。脚は壇の上。背後で手を合わせている人々の視線は、ずっと上の大仏の顔に向かっているので気にならない。しかしもうポラを使い切ってしまった。手探りでEV14、90s、暗くてほとんどわからないが大雑把に調整しなおし2m。16時半終了。カットフィルム7枚QL2枚。しかも再撮かもしれない。ならばやはり朝だろうか。ともかく使いすぎ。拝観料200円払ったけれど、ずいぶんやりたい放題やらせていただいたのでごえんで合掌。20円で胎内「体内」ではないのだ。ヒゲはやしているのに母親なのかに入れるというのでそのつもりだったのだが16時半で終わっていた。まあ開かれているというかあけっぴろげというか。
帰りしなに高徳院の本堂は、と訊くとないのだという。崩落して露座の大仏になったのは知っていたが、寺の施設というのがないらしい。ひょっとすると住職もいないのかもしれない。もはや寺の本体もないからここまで晒しちゃっているのだろうか。もう清浄の地とかいった雰囲気はない。でもGoogleMapにはそれらしい建物があるのだが。そういえば電話帳でも高徳院ではなく鎌倉大仏となっていた。大仏が電話に出るとでもいうのか。
光則寺を見ギャラリーに寄り終了。鎌近はさすが最初の公立近代美術館らしく金曜夜間開館などと客にこびたりはしないので行けず。まあ他人の写真なんざどうだっていいさ。