朝より特快晴もやや透明度低い。JR高尾から京王線高尾山口。9時前にはすでに雲がわずかだが出ている。登山が目的ではないので時間を節約すべくケーブルカーと思ったが15分待たされたうえ行程の半分にも達しないのであほらしくなり歩く。のちにリフトなら随時乗れたと気づく。都内よりは空が青いような気もしたが、次第に雲が増えてきて、空も白っぱけてくる。遠方の空の抜けは東京側も山梨側も変わらない。大気汚染とかではなく単に大気内の水分の問題だろう。
舗道を登って薬**院。四天王門はどっしりとした重量感で、四天王像はいささかユルさが漂っているにせよ、これは都内随一の古刹と期待させる。天狗の像があちこちに。正面に大きなお堂、と思いきや寺務所。上がっていくと本堂。しかし思ったほど大きくなく、むしろちんまりとしていて、しかもこう言ってはなんだがどことなくみすぼらしい。増築したかのように、切妻屋根が左右方向に延長された妙になだらかな山型。そのため左右には長いのだが、屋根は低いのでやたらと細長く見える。木彫りの装飾は趣向を凝らしてあるものの、ガラス戸のたてつけもよくなさそうだしとにかく質素すぎ。売り子さんに思わず「これが本堂ですか」と訊いてしまう。引きもなく左右が収まらない。これは通過。大師堂とかもあるけど構えるほどでもない。これで関東三大本山ですか。わざわざここまで来てこの程度かと、午前中にして敗色濃くなる。こんな山奥では法事もないだろうし、参拝客の落とす金以外には収入源もなく、このあたりでは高名なわりには集金力は弱いのだろう。「大本堂」の呼称も寂しいこの建物にそれがうかがわれる。でもそのわりには聖天堂とか言うような小物を最近たくさんこしらえていて、なまじ空襲もなく本堂が焼けなかったばかりに建て替えるきっかけがなくてあれでやっているだけで、実は金はないわけではない、のかもしれない。実際寺務所たる大本坊は大本堂よりはるかに立派で、成田山とかあちこちから仏僧が泊まりに来ているらしい。精進料理出したりしてるし、わりあい観光ずれしてないほうだとは思うが商売っ気もなしとはしない。
しばらく登って飯縄権現堂。鳥居があり、しめ縄のようなものもある。しかし屋根は銅板製の瓦風、とでもいうのか、よくわからん。とにかく寺院に近い。ここは色とりどり。日光***宮のような色づかい。こりゃあいい。わざわざ来た甲斐があったというもの。さっそく人のよさそうな初老の販売員に三脚使用の旨伝え、階段を上がってきたすぐ上、鳥居の下の途の中央に構える。こりゃまずいかなとも思ったが何も言われないのでそのまま続行。正面が南よりやや東寄りで、11時頃には建物の正面に太陽。ここで撮影できていればよかったのだが、ポ*ラさんざん切ってはフレーム修正の繰り返し。3枚くらい切ってようやく落ちついたかと思ったら次第に客が増えてくる。落ち着かないし去ってからと待っているうち、オバサンの一群が例によって記念撮影で、前からどうぞといったら三脚を蹴り飛ばしあそばされやがる。さっさと追っ払い露光、しかし太陽に雲がかかりEV15.2以下、70s。透明度低いせいか光が弱い。その後客がたてつづき、しかも線香を供えはじめる。しまった。線香の煙はピント悪化につながる。客の少ない早い時間帯にさっさと露光しとくんだった、といつもの「早めにやっとけば」後悔。しかも雲が増えてきてなかなか露光できない。東**宮に似ている、との声がしばしば聞こえ、たしかにそう、東**宮はそこまで国民的人気のある文化財なのか、と思ったが、ここに詣でるような層は東**宮にも同じように観光旅行している割合が高い、というだけのことかもしれない。次は30分以上経ってから、45s。ここで不安になりさらにポ*ラ切る。まったく狂ってる。そういうことだ。三脚の脚の締めつけが甘くていつの間にか縮んでくるというのはたまにあるのだが、それではない。よく見ると三脚の脚が左右でずれている。しまった。さっきのオバサンにぶつかられたときずれて、そのまま撮影していたのだった。参った。一からやりなおし。またポ*ラ切って修正の繰り返し。空がますます濁ってきて、雲もおびただしい。とにかく待つ。13時過ぎ、日も弱くEV14後半、1sと70s。結局ポ*ラ8枚も使っている。まだ不安だが横位置用使い切ったしもういいでしょう。販売員にここは柏手でいいんですよね、と尋ねると、お寺さんだから合掌で、とのこと。権現というのは、神道を仏教の教義体系に組み込むためのけったいな設定で、それがかましてあると神道風でも仏教ベースとなるらしい。今に伝わる官吏のムリムリな辻褄合わせの淵源か。でもまあさんざん他のお客さんの邪魔もしてやりたい放題やったことだし、感謝してお参りしましたですよ。裏手には「神社」というのがあったような気がするが、21世紀となっても神道と仏教は因縁の仲らしい。奥の院というのがあったらしいが見落とす。
定時になるとほら貝と太鼓の音がとどろく。天狗といい、山岳仏教の面目躍如か。カメラを持つ人が多く、そういえば花見期であった。それで人が多いのか。避けるべきであった。それにしてもソメイヨシノなんぞ撮影して何が楽しいのだろうか。まったく理解できん。あんなもの一度も撮影したことはないし、この先もまずしないだろう。世界に冠たるカメラ供給地であるこの国での主要な写真の対象に対する理解が欠落しているようでは、写真に関して講釈を垂れる資格はないのかもしれない。だったらそんな資格くれるっつっても返上するがね。
せっかくなので山頂へ。透明度きわめて低く見通し悪い。即下山。稲荷山とかいう別ルート。ここは未舗装。こうでなきゃ。しかし途中で飽きてくる。歩き疲れたというのではなく、山歩きの風景が単調でかったるい。都市部の刺激に慣れきってしまったということか。14時半駅に到着。
高尾にあるヘンテコな金の仏教施設が車内から気になりつつも高幡不動尊金剛寺へ。仲見世の充実ぶりは川崎大師や成田山はむろんのこと、西新井大師にも遠く及ばない。門前町がほとんど形成されていない。不動堂は都内最古の文化財建築だし、新撰組がらみはあるし、集客要素はあったはずなのだが、京王電鉄の力量不足が大きいのではないか。ただし、駐車場は広く、観光バスが並んでいる。仁王門は立派。不動堂は簡素だが質素ではなく、薬王院より風格がある。しかし拡声器やら裸電球やらくっついてるのが興ざめ。やるにしてももうちょっと霊験あらたかっぽくできないもんかね。そのうち拡声器でアナウンスがはじまり、御護摩開始。声明風音楽は録音。儀式をとりしきる住職は眼鏡着用。ショウとしての完成度に拘泥したりせず、変な見栄を張らず、時流に合わせて実務的にこなしているという点では宗教儀式として正しいありかたなのかもしれない、というとらえかたもできなくはないのだろうかね。大日堂は落ちついた仏堂。大観音像は、サイズでいったら牛久や大船や東京湾観音よりだいぶ小さいと思われる。五重塔はこの先ひょっとして何かあるかもしれないが、他はもういいかなという印象。すべて東向き。
その後高幡不動駅北口に出て、万願寺というのがあるらしいのでさんざん探すが見つからない。地名になっていて、モノレールの駅まであるというのに。移転だろうか、万福寺はあるらしいので名称が変わったのか。でもその名の駅があるのに。その万福寺にさえ辿り着けず、さすがに眠いので断念して新宿でクリエイトに寄ったあとポ**ロイ*ドタ*イプ*52の期限*切迫**額を2箱調達。ISO400。タ*イプ*53が使いやすかったのだが安けりゃなんでもいい。もう4x5のポ*ラなんか使う人はいないらしく、みんな棚晒しのまま腐っており、ざくざく半*額で買えるのはうれしいねえ。この調子じゃ長くはもつまいが。しかしフィルムよりポ*ラのほうが消費量が多いのだが、こないだの妙法寺もあれほどポ*ラ切ってフレームが切れてる。ポ*ラの意味ないじゃん。あんなにポ*ラ使いまくってなおフレーミング失敗するなんてやつ世界中にもそうそうおるまいて。半額とはいえ由々しき問題だ。