無雲だが透明度低い。それでも昨夕の雪やら雷雨で黄砂は減った模様。
これは行かねばと護国寺。撮影は行けるときにしておくべき。先延ばしにしていたらいつつぶれるかわからない。最上とはいえない条件で撮影したことで、撮影し直す必要が生じたにしても、それが可能であったなら、また別の機会にやりなおせばいいのだから。11時半着。太陽はすでに本堂の正面を過ぎやや左側から。今日の葬儀は経営者らしく人出があり警備員もいるが本堂前に車はない。奥に車があるがあれは常駐に近いのだろう。5色の幕が少々乱れているが、たいした問題ではない。警備員に撮影許可を求めるのも違うだろうし、それ以外の人が目につかないので断りなく撮影開始。ポラ1枚ののちポラのまま1枚、EV15.8、1m。12時頃。終了まぎわに喪服の母子が通過。撮影中住職が通り際こちらに向かって会釈するのであわててお辞儀したら、本堂への礼だった。微妙にパンしてポラ切りさらに1m。45sでやってきた数枚が画面上方のシャドウ部分でスヌケに近すぎこれは露出過少と判断し1mに戻す。12時半だったか。
都区内で唯一戦災を免れた大規模な本堂。これは撮影に値する。午前中と午後には本堂のなかも開放されている。むろん拝観料無料。仏像関連もすべて公開されている。隠し込まれてるくせに自慢げに吹聴される御大層なお宝など一切ない。大隈重信やらの墓所は入れないが、護国寺というより遺族の意向だろう。建物の中は知らないが外で撮影しててもまるでおとがめなし。都内で一番好きな寺はここだろうか。
しばし日の動きを待つ。蓮光寺。ちょっとした高台で、高速のわきだがいい場所。しかし「御用のない方は立入りお断り」。お堂も並。桂林寺。改装してあり新しい箇所と古いのが混在していて不格好。
護国寺に戻り松平*家の墓。14時。すでに西には雲が出はじめている。このくらいが木の枝の影もかからずいい頃合。ポラ3枚切り、まだ上に空きがあるがEV15.1、70s。露光中カラスが飛び交い、露光後気がつくとかすかに雲が出ていた。ごくわずか下にティルトし、上の空きをつめて次、と思ったが雲がなくならない。待つしかない。空の青はさほど濃くない。待ちに待って15時半頃、かすかに雲は残っているが、南方から雲が迫っているのでもう待てないと80s。さらにかなりティルトして90s、これは上が切れたかもしれないがポラなど切ってる暇がない。右側には低く雲が入ってしまったが、下のほうだし木もあるしで気にしないことにする。どう出るか。たちまち雲が広がってきたのであきらめて撤収。今後は黄砂と高層雲、夏になれば常時積雲で当分撮影できないかもしれない。別の構想の撮影ならできる。しかし時間がとれるか。
帰りは池袋からと思ったので墓地から抜けて首都高池袋線沿いに行ってもよかったのだが、豊島**陵が気になったので、護国寺の東側の墓地を通って見てみるが当然入れない。柵越しに灯籠が見える。仁王門を出て東に護国寺の惣門。幼稚園への入り口。これがまた風格がある。その先に護国寺の門なのだが、豊島**陵の入り口。しかも表札すらなくただ「立入禁止」。なんだよこれ。このかたがたの秘密主義と排斥主義がいわゆる世に言われるところの「日本的」とかいうものの代表なんだろうか。護国寺の領地をとりあげといてこれだ。ちっとは護国寺の開かれた姿勢を見習ってほしいもの。まあ情報公開と説明責任のこの時代の趨勢ではそう長くはもたんだろうがね。一族の墓地にこれほどの土地を占有して、しかもほかにもいろいろあるわけで、多額の税金を注ぎこんでいながらいつまでも非公開ですむものでもないだろう。近所に吹上稲荷神社。特になし。佛法山西信寺。よくある商業寺院。と境内で打ち込んだ直後眼鏡を壊す。バチがあたったかな。