特快晴。ヌケのよい空、だった気がする。9日までのネガをようやく現像。ところがボロボロ。特に縦位置は上部が切れているものばっかり。神田明神Kodakなので上にある文字部分にかかっていたり。1枚だけかなり切迫しているもののどうにか収まっているのでこれでよしとするが仙台の布袋尊は切れてるのと余りすぎのと。浅草神社狛犬は全部切れててどうしようもない。法華経寺は結局傾いていた。右も切れている。ポラと4x5フィルムの撮影範囲を照合するという、必須なのにこれまでおざなりにしていた作業を行う。テキトウにもほどがある。するとポラのほうが4x5より縦位置上部の撮影範囲が広いという結論に。それも黒フチ部分も込みのフィルム面積全体より広いのだ。そんなことあるのか。おかしい。とにかく何度でもやりなおすしかない。ざっと見たところほこりは少ない模様。伸ばしてみないとわからないけど。
前にパブリックアートくずれで家業の写真館を継いでいるとかいう人物に、見せるつもりもないのに写真を見られ好き勝手言われたことがあり、建築なのにシャープじゃないからよくないとか下の写り込みが余計だとかまあ言いたい放題おっしゃってくださった。建築写真がシャープな描写でなければならない理由はどこにあるのか、それは世間の商業的建築写真なるジャンルの価値基準に囚われているだけではないのか、と聞き返す気も起こらなかった。そいつは建物が画面周辺部に近づきすぎでだめだといったことも言っていた。4x5の一般的な商業撮影では、画面サイズの広さを活かして、周囲に余裕を持たせて撮影してあとからトリミングできるようにするのが常道であることくらいは知っている。だが、フチつきフルフレームで焼く今の写真ではそんな余白など必要ない。余白が空くと力が弱まる。画面ギリギリまで切迫しているテンションの高さをむしろ狙っているのである。それに画面一杯に拡げたほうが逆遠近法効果が強まる。画面中心にちんまりとまとめたようなおとなしいフレーミングではやってる意味がない。とことん極端に走り常軌を逸するのが信条だ。それで毎回何回もポラを切っては極力追い込み、そして何度も失敗しているわけだ。それにしてもこのところはわりあいうまくいっていたのだが、全滅というのはちょっとめげる。さすがにやりすぎたか。
で浅草。途中の店で道に散水していたのでティッシュにもらい、狛犬の台座に載っかって鳩の糞を落とす。でも前に来た時よりすでに落ちていたような。11時頃でちょっと遅いが、全開来た時は10時過ぎに建物の影がさしていた気がするのでこれくらいでいいか。浅草寺のこともあるので巫女さん風の福々しい売り子に撮影する旨断りを入れる。でポラ切るわけだが、前回のポラが手元にあると、そのほうがよく見えて直したくなる。ところがカメラポジションの微妙な差でがらっと変わってしまい、前と同じにするのがきわめて難しい。護国寺の時もそうだった。どこに持っていけばこうなるのか、がわからないのだ。見本があって、その見本を撮影したのも自分であり、機材も同じなのに。やっぱ空間把握能力ないんだろうか。天地左右逆像でどっちに動かしたらいいかわからなくなることもしばしば。一体何年ビューカメラ使っているというのか。いい加減覚えろや。おのが頭の悪さに泣けてくる。ともかく撮影。1m。動かしてポラ切ってまた撮影。日は動き口の陰が大きくなっていく。この時期は時間帯で太陽の高さが大きく違うわけではない。10時と12時とでは上下方向の角度で光のあたり加減が激変するということはない。それより水平方向の差のほうが大きい。2本の歯に日があたっていてなんとかこの光がある間に、と思ったがフレームが決まらない。不本意ながら4枚ほど。ポラ使い切って終了。12時半くらいだったか。