Mamiya7一式を処分。フラットで緻密な描写傾向のレンズを揃え、今後は絶滅するであろう対称型構成の超広角レンズを特徴とする、高画質のひとつの頂点を極めたカメラ。レンズとカメラとフィルムから構成される写実的再現のシステムに全幅の信頼を置いていない限り使えないカメラである。画質がいいということに価値を感じられなくなったら、コストと重量の負担を負ってまでリジッドボディのブローニーカメラを使う理由は消失する。手持ちで撮影したかったら35mmカメラで充分。ブローニー用のフィルムホルダは5台もあるからブローニーでの撮影はいくらでもできる。そして画質なんぞ、少なくとも「高コントラスト特性」なり「高分解能」つまりは対象に忠実でなければならないという理念に縛られた評価基準に関してはまったくどうでもよい。そのうえ再現という虚構をひっくり返そうとしている分際なのに使えるわけがない。写真の手続きを信じているストレートな傾向の人に使っていただくべきカメラである。
ただ、高画質といいきれるかというと疑問が残る。43mmは歪曲収差が0.04%とかで光学性能はすばらしいレンズだが、実際に撮影すると画面周辺部の直線にゆがみが出ることがある。裏紙つきの120フィルムだと平面性が悪く波打っていることがあり、一眼レフ用のレトロフォーカスタイプよりもレンズがフィルム面に近接しているため、フィルムの湾曲の影響をより強く受けてしまうのだろう。220を使えば改善されるのだろうが、それでもロールフィルムを使う限り万全とはいえない。フィルム走路中にローラーを介さずテンションもかけないことによる、カメラボディの設計上の問題なのかもしれない。
たしか96年頃購入してカメラボディとレンズ3本で28万。31万ほどで売れた。11年で約10%。この間の銀行定期預金より高利率だろう。しかもたまには使って、所有する必要がないことを充分に確認できた。未練なくおさらばだ。
あと、世間で言うところのカメラらしいカメラはEOS-1nとRTSIII、それにヤフオク専用機のCaplioG3のみ。RTSIIはこの機種によくあるらしいクイックリターンミラーが戻らない障害。RTSIIIも使ってないのだが、普通に使えるカメラがないと、外的必要が生じたときや気が変わったときに何もできなくなってしまうから、1ラインは残しておいたほうがいい。画質の優先順位が高くなる見込みは薄いから35mmカメラが一式あれば充分。でも広角はEOSですますことにして28mmレンズは売ってしまった。EOSもねえ。悪行三昧が露呈しつつあるおトイレ経団連会長が率いる会社のカメラなんて正直使いたくない。といって「本物」だとかいうNikonもおそれ多くて。とにかくどんどん整理したほうがいい。
 
酔って書きつけたのをあとから見るとなかなか壮観なありさまとなっている。いつものことだが。
ああいうことを述べると、認められたくてやっているのか、とか、自己実現が目的なのか、などと責める人間が出てくるものだが、いやそういうことではなくてだね、折々にいろんなこと考えながらやってるわけで、だからこれだけながながといろんな言い回しで述べたてることになる。そんな単純な話ではないのです。